負荊6






あれ以来、白馬が新一を誘うことはなくなった。
理由は簡単だ。現在の彼は日本に居ない。

突然、倫敦に旅立った。一時的な渡英では、彼も新一との関係を切るつもりはないだろう。
また、帰ってきたら以前のような関係に戻るのだろうかと新一は考える。
もう、どうても良いことだった。

今までもそんな風に思っていたが、今は尚強く思う。
KIDに自分たちの関係を知られてしまった。……別に、知られたからって、この恋が壊れるわけでもないのだけれど。
どうせ、実るわけもなかった恋だ。相手にどんな印象を与えようとも構わない訳で……だけど、心がそうじゃないと訴えている。

あの夜、あの場所で彼は新一達を見ても、何の反応もなかった。
軽蔑されたと思ったが、今思い起こせば、そうではないと分かる。

どうでも良かったのだ。所詮彼には関係のないこと。新一と白馬が何処で何をしていようとも、全くの無関心。
彼に二人の関係を知られただけで、強いショックに見舞われた新一とは裏腹に、KIDにとってそれは特に気に掛けるような事ではなかったのだろう。

─────私は、男に入れ込むような趣味はありませんよ。

彼はそう言って笑った。抱くなら、女性が良いと、そう付け加えて。
新一は小さく嗤った。
当然だ。普通の男なら、女を……魅力的な女性を欲するのが普通だ。新一みたいに、同じ男に惚れて、しかも好きでもない男に抱かれて悦んでいる男なんていやしない。

本当は……あんな風に何事もないような態度、取って欲しくなかった。
新一を見て欲しかった。自分の存在を認めてくれるのなら、それがどんな感情でだって構わない。

軽蔑されたって構わないのだ。負の感情だって、彼が自分を見てくれるのなら、それだけで満足だったのに。


───だけど、そんな小さな望みすら、彼は叶えてはくれなかった。



彼は、新一をどう認識しているのだろう。只の探偵、少しばかり頭の切れる探偵程度には思ってくれているだろうか。
怪盗KIDの現場にはほとんど関与しない新一など、精々その程度だろう。
そして、今は自分をしつこく追い回す倫敦帰りの探偵と不毛な行為に耽っている、理解しがたい嗜好を持つ忌避すべき人間だとでも思っているのだろうか。

新一は暗くそう考えて小さく頭を振った。


きっと、そんなことすら彼の思考の中には存在させてはくれないに違いない。


記憶として脳裏に留めておくことはしても、それについては何も考えない。必要に駆られでもしない限り、思い出すことはない。
所詮、自分はそんな存在。新一がどれだけ強く想っていても、その恋心は相手には決して届かない。

それは、至極当たり前の事。


想っていらられば、それだけでも良いと思っていた。好きなだけ彼の事を想って、そして何時か忘れることが出来ればと思った。
甘く切ない思い出になれば……新一の心は傷付かない。
だけどKIDの彼に対する無関心は、それだけで新一の心を傷付けてしまった。

その程度でも簡単に傷付いてしまう、脆い心。
なら……いっそのこと、壊れれば良い。


否、───壊してしまえば良い。


その時、ふと新一の心の中に、何かが囁いた。
どうせ、壊してしまうなら、少しくらい……残したって構わないだろうか。

『工藤新一』という存在を、彼に。
なるべく強く、衝撃的に。
忘れられないくらいに。

新一は小さく嗤った。

それは……それは、いずれ後悔するのは目に見えていた。馬鹿げた事をしようとしているのは、考えるまでもなく明らかだった。
だけど……頭ではそう判断出来たって、どうにも止まらない感情がある。

非論理的な思考を自覚しつつも、敢えて気付かない振りして突き進む時も必要だと、その時はそうして自己完結した。



自分勝手な我が儘な心だった。









……全て言い訳。自分の心に嘘を付いて、仮初めで良いから欲している。
時間がないから、勝手な主張を押し通して行動したかったに過ぎない。


判ってる、判ってる……全部。



白馬の不在の隙をつくかのように届けられた予告状に、真っ先に反応したのは新一だった。
普段はそれほどの関わりのない課にごり押しで捜査に加わり、その概要を入手した。
中森警部は、心底不機嫌な表情を浮かべたが、そんな事構っていられない。
そんな些細な事で、チャンスは逃したくない。
その目に見えぬ気迫に、他の捜査員達も気圧された。


そして全ては新一の思惑通りに事は運んだ。
無能な警察を自分の思い通りの場所に配置させ、新一は一人密かにある場所へと向かう。

ヤツの逃走ルートは何度もシュミレーションして、最も確率の高いルートを割り出した。
だけど気付かれぬ様さり気なく、追い込むように警備に穴をあけておいた。彼ならそれに気付くだろう。
その誘いに乗ってくるかどうかは分からない。

乗ってきて欲しい気持ちと、そうでない気持ちが交錯する。
もし、新一の思惑通りに彼が姿を現したらどうなるだろう。
相手は自分を軽蔑するだろうか、それとも……。

新一がその場所に赴いて、数分と経たない頃だった。



「────おや、珍しい人がお出ましですか」
艶のある裏に隠れたからかいの声。
新一は、声のした方をゆっくりと振り向いた。

「………KID」
それまで見せていた躊躇いも戸惑いも完全に押し隠して、代わりにそっと口唇の端に笑みを浮かべて対峙する。

新一の態度に、対峙するKIDの方も普段と変わりはない。相変わらずの気障っぽさと格好つけた態度で飄々と佇んでいる。
「これは一体、どういった風の吹き回しでしょう。……名探偵が現場に来られるなんて、今まで一度だってなかったはず」
ああ、そうだ。……ずっと以前、一度お会いしましたよね?

数年前の一瞬の邂逅を、怪盗KIDは覚えていた。
新一は、そっと瞳を伏せる。

「あれ以来、貴方は私の前には現れなくなった。……それが、最近になって顔を見せたと思ったら」
KIDの口唇が、皮肉気に歪められた。
「……あんなシーンを見せつけられるとは。いやはや、私は貴方に対する印象が180度変わりましたよ」
下賤な表情で新一を見遣る。モノクルのレンズが鈍く光った。
新一はそれに反論せずに、小さく笑った。

そんな彼の態度に、KIDの表情がほんの僅かながら揺れた事に新一は気付いた。

しかし、直ぐさま表情を改めて、いつもの彼が口を開く。

「さて。私は貴方の誘いに応じてあげたのですから、ご用件をお聞きしましょうか」
罠と知った上で、KIDは姿を現したのだと、それは告げていた。新一は顔を上げると、その不遜な態度で佇んでいる怪盗を見つめた。
「お前を捕まえに来た……とは、思わないのか」
「そうですね……。しかし、これまで私の事など眼中になかった貴方が、今になって私の前に姿を現すというのは、少々解せませんね」
そう言って笑う。新一は、無意識に奥歯を噛みしめた。

眼中になかった訳ではない。

恐らくそうとは知らずに新一の胸に残酷な言葉を刺すKIDに、彼はその痛みを隠して微笑いかけた。
ゆっくりと間合いを詰める。その間に漂うのは、張りつめた緊張感ではない。

KIDの息をのむ声が聞こえたような気がした。

近付く新一の、何処か艶のある微笑を湛えた表情が何を意味するのか、彼には理解出来ないようだった。
新一は内心戸惑った体のKIDに気付かぬ風で歩み寄る。

「……おい」
歩みを止めない新一に、掠れた声が響いた。新一はそれでもその顔に微笑を崩す事なく彼の直ぐ傍まで近付く。
KIDは逃げなかった。いや、動けなかったのかも知れない。新一は間近に、手を伸ばせば容易に触れる事が出来るほど近くにやって来て、ようやく動きを止めた。

佇んだままのKIDの頬に、新一の指がゆっくりと滑った。

「名……探、偵……?」
彼の声など聞こえない振りして艶めかしい笑みを浮かべたまま、その滑やかな頬をそっと撫でる。新一のその僅かに潤んだ瞳で、彼をうっとりと見上げた。

「なぁ……KID」
掠れた吐息の様な声で、彼の耳元に囁きかける。
「オレと……遊んでみる気はないか……?」

「……なに、言っているのですか……貴方は」
冷静に振る舞おうとする意識に反してか、KIDの声は掠れていた。息をのむ音が聞こえた。
そんなKIDの態度に、新一はくすくすと笑いながら、更にその腕をしなやかに相手の首に絡める。

「退屈、してんだよ、オレは。お前となら……後腐れないだろ……?」
それと分かる誘いに、KIDは戸惑う素振りを見せる。新一はその躊躇を消し去ろうとするがごとく、彼にゆっくりと体重をかけていく。

───と。

「これは……もしかして、あの時の口封じ、ですか?」
彼との二度目の邂逅を果たした夜。KIDに白馬との熱烈なシーンを見られた為の口封じ。
……それならば、納得がいく、と、そうKIDの眼は語っていた。

しかし、新一はその問いには応えず嫣然と微笑ってみせた。KIDの耳朶に、触れるようにして囁く。
「白馬は、口封じは無用だって、言ってたぜ?……犯罪者が声を大にしてオレ達の事、言いふらす筈はない、ってな」
「……それは、それは。流石は長年私の相手をしてきただけの事はあります。あなた方の間の秘め事を利用させて頂くことはあっても、世間に公表するつもりはありませんよ」
やんわりと押しのけようと彼の腰に手を回すKIDに、新一は殊更強く身体を押し付けた。

「───名探偵。私は女性の身体が好みなのですよ。……貴方も充分魅力的ではありますが、私の対象にはなり得ませんよ」
「その気にさせてやるよ。……試す価値はあると思うぜ?それに、後悔させない自信あるし」
新一の口唇が一瞬だけKIDの耳朶に触れる。

「……恋人は良いのですか?」
「恋人?」
「貴方の不実を知ったら……彼はどうするでしょうね」
暗に白馬の事を持ち出すKIDに、新一は少し苛ついた表情を浮かべた。
「アイツは恋人なんかじゃねぇよ」
「ほう……。あんなコトをしていたというのに、ですか」

「アイツとは、友達」
「友達?」
「そう、只のセックスフレンド」
だから、アイツのコトなんて気にしなくても良い。

お前も知ってんだろ?今、アイツが日本に居ないってコト。
その所為で、オレもう十日も健全な生活送ってんの。……お陰で、最近どうにも苛ついて仕方なくて。
少し、欲求不満を解消させたくてさ。

相手は誰だって良いのだ、と、暗に匂わせる新一にKIDの眉が僅かに寄った。
そんな彼に気付いた新一が、まるで安心させるように囁く。

「だからって、別に遊んでないぜ?……男相手は、お前で二人目」
そう言いながら、彼の口唇の端にかすめ取るようなキスをした。



「オレを試して……盗んでみろよ」






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2002.04.23
Open secret/written by emi

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