負荊10






恋愛なんて、身勝手なものだ。気持ちを抑える事が出来ないから、想いは膨れ上がって、自分自身ですら、もうどうしようもなくなってしまう。
あまり深く人を好きになり過ぎるのは危険だ。だけど、そうなってしまったものを無かった事にしてしまうことは出来なくて……結局、抱かえて生きていかなければならない。
割り切れない想いだけがどんどん増えていく。……新一にとって恋愛とはそういうものになってしまった。

もっと普通の……可愛くて綺麗な女の子を好きになっていれば、新一の恋愛は少しは変わっただろうか。
そんな事を考えてみるが、所詮は仮定の上でしか有り得ない。


新一は夜空を見上げた。
藍色をした空は高くて、吸い込まれそうなほど深く澄んでいた。周りに雲らしいものは一つもなく、大きく広がったその向こうに小さな星がいくつも瞬いていた。
東からゆっくりと昇ってきた月が、今は中空で地上を照らす。その光は新一に短い影を作った。

あの泥棒に相応しい、今宵は満月の夜。

新一は身体が急速に冷えていくのも気に留めず、飽きることなく夜空を見上げていた。遠くでサイレンの音が聞こえる。
今夜も、怪盗KIDは警察を相手に遊んでいるらしい。本気で罪を重ねているのか、それとも本当に「遊んで」いるのかは判らない。
けど、こうして世間にその姿を晒す行為は、今の新一にとってありがたかった。
彼との接触を計るには、こんな状況でも無い限り有り得ない。
正体すら掴めない犯罪者と探偵が会う為には……。


ビルとビルとが乱立するその場所で、お誂え向きとばかりにぽっかりと空いている空間。恐らく当初はビルの建設が予定されていたのであろうその場所は、彼が一時身を潜めるには打ってつけだ。
新一は、その小さな空き地の真ん中で、相変わらず空を見上げていた。

冷たい風が新一の身体を撫でていく。その度に身体の芯から震えが起こったが、気付かぬ振りして留まり続ける。
彼を、待ち続けた。



ふと落とした視線の先に、今まで無かったはずの影が見え隠れしたような気がして、新一はその向こう側をじっと見つめた。
空気が僅かに変わったような気がした。そう感じると同時に新一の視界にはっきりと影が見えた。
白い衣装を身に纏った、彼の待ち人。
新一の記憶通りの姿で、真っ直ぐこちらに向かって歩いてくる。
彼は、新一の存在に気付いていないかのように気に留めることもなく、目の前までやって来た。
そして、立ち止まる。


「……ド」
掠れた声で新一は彼の名を呼ぶ。彼はその声に反応したようにふと顔を上げると、新一を認めた。
モノクルが、鈍く光る。それがとても冷たく感じられて、新一は思わず息を詰めた。

「……ご用件を、お聞きしましょうか。名探偵」
冷えた声が新一の鼓膜を刺激した。その何時にも増して凍えた声音に、新一は激しく戸惑った。

あの夜の事など、もうすっかり忘れてしまったかのようなその態度。しかし、彼は忘れてなどいなかった。
「また、私を「遊び」に誘いに来られたのですか?」
そう訊いてくる彼に、甘やかな雰囲気は何もない。ただ、凍てつくような光を放つ瞳が新一を捕らえ続けるのみ。
新一は、そんな冷酷な雰囲気に気圧されて言葉を発する事が出来なかった。

怖いと思った、堪らなく。

新一の感じた思いは、正しかった。KIDは、すっと目を眇め、新一に言い放つ。
「『遊び』は、一度きりだから遊びなのですよ。……私はこれ以上貴方との深入りは望みません」
確かに、あの夜は楽しませて頂きましたが…と、言葉を続けるものの、彼の声に感情の起伏はまるで無かった。

「貴方が私を捕らえる事で関わりを持つというのならともかく、気まぐれで私の前に姿を現すのは、もうこれっきりにして頂きましょう。────目障りです」
はっきりと言い放つ拒絶の言葉に、新一は息をのみ、小さく身体を震わせた。


相手は新一を望んでいない。そんな事は最初から判っていた。だけど、こんな風に一方的に言葉を投げつけられるなんて、考えていなかった。
新一は、まだ一言も発していないのに。

しかしKIDはそんな新一の心情などまるで気に留める風もなく、それだけ告げると彼から離れた。そのままゆっくりと歩き去る。
新一は慌てて振り返った。白いマントが彼の動きに併せて銀色の光沢を放ちながら優美に揺れていた。
呆然と姿を見送る自分に、はっと気付く。

何も言わずに、このまま彼を見送って……それで後悔はしないのか。自分は今夜、何の為に彼に会いに来たのだ。
彼に……この自分勝手な気持ちを告げる為に来たのではなかったのか。

彼に誤解されたまま別れたくない。
間違いを犯したのは新一の方だった。だから、自分からそれを正さなければ。
『遊び』なんかかじゃなかった。自分は本気だった。ずっとずっと以前から、自分は……。

新一は駆け出した。彼が消えてしまう前に告げなければ、新一が此処に来た意味がなくなってしまう。
駆けて来る足音に、きっと彼は気付いている。だけど、その歩調は早まる事も緩む事もなく、一定の速度で歩き続けていた。そんな彼に追いつくのは容易なことだが、……その何の反応も示さず歩き続けるKIDに、新一は心の何処かで痛みを感じた。

それでも止めるわけには行かない。ここで答えを出さなければ、新一は何処に向かう事も出来なくなってしまう。
駆け寄って伸ばした指がマントを掠めた。思わず掴んで引っ張ると、それに呼応するかのように彼の動きが止まった。

ゆっくりと、殊更緩慢に振り返るKIDに、新一は縋るような視線を向けた。
相変わらず、何の感情も表さない彼の表情。引き止められた事に対して何の感慨もなく、ただ「何だ」と問うてくる。

どこまで行っても冷たい態度しか取らない彼が怖くて、挫けそうになる。
けれど……新一は掴んだマントをそっと離すと顔を上げて彼を見つめた。相変わらず表情を完璧に消して自分を見る彼の瞳には何も映ってはいないようだった。

新一は、ほんの僅かに自分よりも高い位置にある彼の瞳に視線を併せると、震える声で告げた。

「KID……。オレは、お前が───好き、なんだ」
その瞬間、新一の体温は僅かに上がったが、周りの空気は逆に急激に冷えた様な気がした。
じっと見つめ、そう告げる新一。……しかし、相手の反応は冷淡だった。

「どうせなら……もっと楽しい冗談にして欲しかったですね」
笑えませんよ?それでは。

口唇の端を僅かに歪めて彼は嗤った。
「KID……!オレはっ…」

「貴方は、私の言葉などまるで届いていないようですね。……『遊び』は、あれが最初で最後。それ以上もそれ以下でもない。───これ以上の駆け引きは、無意味です。……もう、貴方とは無関係ですから」
冷たく告げるその声に、一欠片の温もりもありはしなかった。当然と言えば当然な反応。しかし、新一はそんな態度を取られても尚、彼に縋りたかった。

身を翻し、足早に立ち去ろうとするKIDを再び引き止めるように身体が動いた。彼のジャケットの袖を掴んで引き寄せる。
そんな彼に、KIDは苛立ちを露わにして振り解いた。跳ね上げられた腕が新一の頬を僅かに掠めて、擦れた痛みを残した。

一瞬、彼を傷付けてしまった事に表情を崩しかけたKIDだったが、すぐに元に戻った。そのまま立ち去ろうと身体を動かしかけた途端、ふいに何かに引かれたように、新一の方を見遣った。

彼の……工藤新一の姿。
KIDは目を見張って思わず立ち尽くした。

新一は、もう何も言わなかった。
何も言葉にする事なく、KIDの前に立ち尽くしていた。表情も変えることなく、呆然とした体で彼の前に……。

泣いて、いたのだ。
黙って静かに、彼の両の瞳から、涙だけがこぼれ落ちていた。瞬きする事もなく、もしかしたら彼自身泣いている自覚がないのかも知れない。そんな風に、彼は涙を流した。

「……しん……」
KIDは思わず彼の名を呟きかけて……押し留まった。


「好き……なんだ」

新一はもう一度そう繰り返した。
本当に、好きなんだ。この想いに偽りはない。どうしたら、彼に信じてもらえるだろうか。
いや。
信じてくれなくても構わない……だけど、せめて、ちゃんと知っていて欲しい。


KIDは、何も言わなかった。受け入れることも拒むこともしなかった。只、じっと彼を見つめ……何事もなかったように身を翻した。そのまま去っていく彼の後ろ姿を新一は涙で歪んだ視界で見つめていた。

これ以上新一は彼を引き止める術は持たなかった。だから、ただ黙って彼の姿が見えなくなるまで見つめ続ける事しか出来なかった。



そしてまた静寂の時が訪れる。
月も星も、先程とほとんど変わらない場所で煌々と地上を照らしていた。
新一は止まる気配のない涙にようやく気付くと、そっと拭った。拭っても拭っても溢れてくる涙が更に哀しみを誘う。

「は……みっともねぇ」
好きなオトコの前で、無様にも泣いてしまった。
女みたいに、泣いて縋ったみたいで、嫌になる。……そんな風に彼を引き止めるつもりは更々なかった。しかし、相手はどう思っただろう。
女々しいヤツだとは思って欲しくない。そんな都合の良い事を考える。

KIDの事を想うと、涙は止まることを知らなかった。涙腺が壊れてしまったかのように、止めどなく溢れてくる。
「……っ」
悲しかった、辛かったのだと、新一の心がそう自分に告げているみたいだった。

新一の、本当に望んでいた言葉を彼がくれるとは思っていなかった。
ほんの少しの期待すらしていなかった。彼の拒絶は、最初から判っていたことだった。
けれど耐えられずに泣き出してしまったのは、心の何処かで願わずにいられない想いが存在していたのだ。

目障りだと言われた。無関係な人間だと言われた。
彼の言葉を思い出すと、そのどれもが新一の心を傷付ける。


後になって悔やみたくないから、新一はKIDに想いを告げた。
本当に本当に、彼に「好きだ」と告げられればそれで良かった。

それだけしか望まなかった。

「……だったら……もう、充分満足なはずだろ……?」
何と言われようとも構わない。自分の気持ちだけでも知っていて欲しかった。望んだのはそれだけだった。
なら、望みは叶ったのだ。それで充分ではないか。
そう思って、思い込んで、全てを押し包んでしまおう。

「……自業自得…だよな」
新一はそう呟くと小さく嗤った。
そうだ。
新一だって、KIDに受けたような事を白馬に対して行ってきたのだ。白馬を傷付けて、自分が幸せになれるなんて思いはしない。
最初からこうなる事は理解っていた。新一は、もう心も身体も汚れきっている。
自分勝手な気持ちも、浅はかに快楽の中に沈めたこの身も、全てが新一が作り出したのならば、苦しくても受け入れなくてはならないだろう。
だから……泣くのは今夜だけにしておこう。流れてしまった涙は元には戻らないから、今だけは自分を許して泣いてしまおう。




こんな自分は嫌だけど、大嫌いな自分だけど。
それでもこんな愚かな人間が居たことを心の隅でも良いから覚えておいて欲しいと、もう二度と会うことはないであろう相手にそう願った。







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2002.08.01
Open secret/written by emi

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