Infinity ∞




幸福に、優先順位なんてない。けれど今二人で居られるこの時は、何にも勝る時間だと彼は思う。

キッドの指が新一の頬をゆっくりと触れる。そんな仕種に、新一は少し震えて瞳を伏せた。
凍えていた室内は、いつの間にか居心地の良い室温に保たれていた。指先から伝わる感覚。冷えていた新一の身体も徐々に熱を取り戻した事を知る。


その感覚に安心すると、キッドは口を開いた。
「一つ聞きたいことがあるんだけど」
「……何?」
伏せていた瞼を押し上げて、新一はキッドを見上げた。

「オレの事……何処まで知ってる……?」
訊きたかった事、訊いてみたかった事。
新一は、キッドの何処まで気付いているのだろう。彼にとって自分は未だに只の泥棒でしかないのだろうか。

それが分からなくて、キッドは少しだけ不安気にそう訊ねると、新一は小さく小首を傾げて、そして微笑んだ。
「………快斗」
「───え?」
彼の呼ぶ声に、キッドの心臓が小さく跳ねた。

ささやかな動揺が触れられている指先から伝わってくる。新一は、その指にそっと自らの掌で包み込んだ。
「快斗……って、お前の本当の名前?」
そう問い返してくる新一に、キッドは頷く。それを見て、新一は「良かった」と小さく呟いて微笑んだ。


「新一……オレ、嫌われているのかと思った」
あの日、新一は「快斗」を拒絶していた。彼は、そういう行動しかとらなかった。だから、快斗ではダメなのかと思った。
新一が求めているのは、怪盗としてのキッドだけで、只の一般人である高校生黒羽快斗など歯牙にもかけない存在なのかと思った。
それが辛くて寂しくて……だけどやっぱり諦めきれなくて。

「キッド。───あの日、オレは怖かったんだ、お前が」
「新一……?」
どうして……と、その瞳が曇る。そんなキッドの誤解を解くように新一はゆっくりと頭を振る。

「お前が悪いんじゃない。……オレが勝手にそう感じたんだ」
彼の姿を見た瞬間、身体中の熱が一気に上昇して、息がつけなかった。理由もなく、激しく鳴り響く心臓の鼓動に戸惑いと焦りが混じり合って、その理由が分からなくて混乱した。
初対面の人間に受けた、突然の衝撃。

「視線を合わせるだけじゃない……見られていると感じるだけで、胸が苦しくてたまらなかった。あのままずっと一緒に居る事が苦痛でたまらなかった」
逃げる様にその場を後にしても、快斗は追ってきた。そして、更に強い衝撃を新一に与え続ける。
「胸が痛くて苦しくて、だけどその理由が分からなくて、なのにお前は平然とオレの前に座ってた」

それが新一にとって、どれだけ辛い仕打ちであるか気付かずに。

「でも、お前と一緒居続けていると、この苦痛が嫌悪から来るモノじゃないことは分かってきた。お前が嫌いであんな態度を取っていた訳じゃなかった」
なら、他に何の理由でこんな気持ちにさせられるのだろう……。
そう思ったら、ふいに思い出した。

この胸の動悸は……キッドと一緒に居る時にも感じたことがある、と。

それに気付いた時、新一はショックだった。そんな事あるはずないとすら思い、自分の感情を否定したかった。
「だってそうだろう?オレは、ずっとお前の事しか見ていなかったのに……会ったばかりの「黒羽快斗」に一目惚れしちまったんだから」
少し気恥ずかしげに呟く新一に、キッドの身体が熱くなる。

「それで、オレってそんなに多情な人間だったのかと落ち込んだ」
初めて会った、しかも男に。……そんな感情、たった一人にしか向かわないと信じていたのに。
「……だけど、そんな自分がどうしても信じられなくて。オレは絶対にお前以外にこんな思いするはずないって、そう思ったら、────ふいに全ての謎が解けた」

胸を揺さぶる衝撃。辛くて苦しくて、だけど何処か甘やかな感覚。強く激しく引き寄せられる想い。


もし、新一が感じているこの気持ちが真実のものならば、「黒羽快斗」は────。



姿とか声とか、そんな外的なモノで気付いたのではなくて、この気持ちを素直に認めてしまえば、こんな感情を生み出すことが出来る人物は、たった一人しか居ない。

違うかも知れない。間違っているかも知れないとも思った。


だけど、この気持ちに忠実になって、素直に信じたら答えは一つしか見つからなかった。


「理屈じゃなくて、感情でそう思った。……あのミュージアムの館長に変装していた時も、オレは感じてた」
意味もなく、小さく心臓が跳ねた事。だけど、彼との会話や彼の眼差しが、こんなにも心地良いなんて。

「こんな感情を沸き上がらせる人間は一人しか居ないと思ったら、直ぐに分かった」
根拠のない確信。それは、新一だけにしか分からないし納得出来ない事。

新一の心を揺さぶる人物は、キッドしか有り得ない。彼でなければならないと。



「そう……だったんだ」
彼の告白に感動して、それだけ呟いて口を噤む。
嬉しくて嬉しくて溜まらなくて。
一番大切で大好きな人に、自分はそれほどまで強く想われている事を知ると、心が歓喜に打ち震えた。

「……それじゃあ、新一の前ではどんなに上手く変装しても、お見通し、なんだな」
「……だな」

新一は、姿形や立場とか、そんなモノを全て飛び越えた本当の自分だけを見つめてくれる。
もちろん、キッドだって思いは同じだ。

例え彼がどんな姿になったとしても、自分だけは見間違う事はない。彼だけは絶対に見失う事はない。



「新一……以前さ、オレが泥棒じゃなかったら、自分たちに出逢いは無かったって言ったよな」

ふいにそう言い出したキッドに、新一は首を傾げながらも頷いた。

父親の仇を捜すために、あるのかどうかも分からない幻の宝石を探し続けるキッドに、新一はそう言った事があった。
ままごとのような幸福感に包まれていた、逢瀬の日々。

「でも、オレは思うんだ。新一が探偵じゃなくても、オレが只の高校生だったとしても……オレ達はいずれ出会えてたんじゃないか、って」
こんなにも深く互いを想い合えるのなら、

「オレ達の出逢いに、立場なんて関係なかったんだよ……きっと」

確信的に断言するキッド。彼がそう言うと、そう思えてくるから不思議だ。

だから、

「ああ、……そうだな」
新一もそう頷くと、嬉しそうに微笑んだ。


心を全てさらけ出して投げ出して、そして相手に受け入れてもらえる歓びを知って、ようやく今この場所で二人が生きてる意味が分かったような気がする。

優しくしたい、大切にしていきたい。もう、自分勝手に思い込んで悔やむことがないようにと願う。



だから、取り敢えずはふと脳裏に浮かび上がった疑問を新一は口にする。


「ところでさ」
「何?」

「これから、お前の事……なんて呼んだら良いんだ?」
真剣な表情してそう訊いてくる新一に、キッドは思わず微笑んだ。


「そうだな、───取り敢えず……」


新一の耳元に口唇を寄せて、キッドは囁いた。

それを聞いて、新一はにっこり笑って頷いたのだった。






Fin








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Infinity
2001.01.**〜2001.12.30
Open secret/written by emi tsuzuki

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