月齢22.2の夜
風が心地良い。
夜が長くなる。
「よう、こんな所で何してるんだ?」
東の空から上がった月を見る新一の背に声をかける人物。
新一は、ゆっくりと振り返る。
白い衣裳を身に纏い、そのマントが風に揺れるその姿。
「─────キッド」
口唇の動きがそう形取る。
呼ばれた彼は、新一の元へと近付いた。
「今晩は、仕事じゃないだろう。……何故、オレの前に姿を現す?」
しかし、彼の歩みを制止させるかのように、新一は声を上げた。
キッドは立ち止まり、不敵とも取れる笑みを浮かべる。
「怪盗キッドが工藤新一に逢いに来た。………それだけでは不満か?」
いつもなら、盗みの現場で対峙する2人。
キッドが予告状を出さなければ、新一は彼に遭う事はない。
2人の関係は、ただの、『怪盗と探偵』。
しかし、こんな風に出会うのは、初めてだった。
なのに、2人はまるで此処で待ち合わせでもしていたかのように自然な態度で。
この出会いは、まるで当然であるかのように。
新一が月の下で小さく微笑んだ。
まるで誘うようにキッドを見上げて。
風が吹く。
秋の夜は深まり、その風も澄んだ夜空に舞い上がり、消える。
キッドは優雅な足取りで新一の側まで来ると、────まるでそれがさも当然の事であるかのように彼をその腕に抱きしめた。
滑らかな頬をかすめ、首に手が回り、もう一方の腕はその細い腰を引き寄せて。
何一つ、躊躇いのない動作。
「抵抗しないんだ?」
何の反応も示さない新一に、キッドは至って冷静な声でからかった。
だが、その心にはほんの少しの懸念と戸惑いが入り乱れて。
何考えている?
男に、……敵である人間に身体を拘束されて、黙っているような人間ではないはずだ。
工藤新一は。
そんなキッドの心情とは裏腹に、新一はくすくす笑い出す。
「何で、抵抗しなけりゃならないんだ?」
「え…………?」
一瞬、キッドの表情が揺らぐ。
その隙を見逃す事なく、新一はキッドの顔を見上げ──────戯れるように触れる口づけ。
「オレの事、嫌いなら…………抱きしめたりはしないだろう?」
嫌いなら…………抱きしめられたりはしないだろう?
挑むように見上げる新一に、キッドの唇が余裕に満ちた微笑に変わった。
「それもそうだ」
そう言うと、今度は彼から新一の口唇に己のものを重ね合わせる。
最初は、軽く触れるだけ。
しかし、次第にそれは深くなって………息もつけないほどに。
暫くの間、2人はその行為に没頭した。
月が2人を照らし、風が彼等を抱擁しては離れていく。
長く、短い……刹那の刻。
「………今夜も月は綺麗だな」
長いキスの後、新一の肩越しに浮かぶ月を見て、キッドは呟いた。
「確か明日が下弦の月、だったかな。………でも、お前は満月好きそうだよな」
キッドが仕事をする時は、満月の下が多い。
「月のない夜は寂しいぜ?」
そうは思わないか?
そう問うてくるキッドに、新一は悪戯を仕掛けるような口調で言う。
「残念だけど、俺はどちらかというと新月の方が好みでね」
「new moon?……それとも」
「crescent」
「……そりゃ良かった」
キッドは小さく微笑んで、再び新一の顔を覗き込む。
新一の瞳は、キッドを映し出している。
見つめてる。
手袋越しに頬に触れ、顎に滑らせて上向かせると、睨み上げる新一の瞳が、ふと柔らいだ。
そんな新一の表情にキッドもまた微笑むと、その薄い口唇を己の舌でゆっくりと舐めた。
舌だけで、新一の口唇を犯す。
次第にそれだけに飽き足らなくなった新一が、誘うように口を開いて、再び彼を招き寄せる。
何度キスを交わしても……満足に至るには遠い。
「決めた。────次に逢う時は、crescent moonにしよう」
長い時間の後、キッドは新一抱きしめたまま、そう呟く。
構わないだろ?
そんな瞳で、新一を見つめる。
まるで、断られる事を思いもしない表情で。
「…………勝手に決めるな」
不機嫌そうに答える新一だが、嫌とは言わない。
言えるわけがない。
『仕事』以外で逢う事なんて、滅多にないのだ。
想いに気付ば────また逢いたくなる。
「決まりだな」
そう言うと、キッドは名残惜しそうに新一から離れた。
突然寒くなった身体に、新一の表情が揺れる。
「そんな表情(かお)するなよ」
このまま連れて行きたくなる。
からかうようなキッドの言葉に、新一は動揺する。
「ば、ばーろ」
目元をほんのり朱に染めて、────本当に艶やかで。
「待てないかもな……」
新月までなんて。
「何だ?」
聞こえなかったキッドの台詞。
「何でもない。────じゃあな」
キッドはそれだけ言うと、一握りの未練を断ち切るかのように忽然と新一の前から姿を消した。
後に残された新一は、一抹の寂しさを振り解くと空を見上げる。
彼が姿を現す前と同じように。
月齢22.2の夜空。
煌々と輝く光。
その月の一日は、まだ始まったばかりであると云うがごとく、東の空を照らし続けていた。