幸福の再来
知ってる?
「スズランのカラダには毒があるんだよ……?」
その時を狙い澄ましたかのように、一際強い風が二人の間を通り抜けた。
新一は、その風に煽られて靡く彼の白い外套をじっと見つめていた。
逆光でその表情はよく見えないが、彼の揺れる片眼眼と、穏やかに微笑む口元が切なくて、新一にはそれが悲しくて……。
彼が何を言いたいのか……新一は、痛みを感じる胸の奥で理解した。
「ねぇ、新一……。オレ達、もう一度シアワセになれるよね」
一緒にシアワセになりたいと、彼は新一に花を差し出す。
可憐な……小さな花は、そのしなやかな曲線を描いた茎に連なって揺れ、鈴の音を奏でているようだった。
空には、優雅に湾曲した月が浮かび、この静寂の闇を照らす。新一は、差し出されたそれに手を伸ばした。
スズランの花言葉って……何だっただろう。
ぼんやりとそんな事を考えながら、小さく束ねられた花束を受け取ると、そっと顔を寄せた。
可憐な花であるにも関わらず、濃厚な香りが新一の鼻腔を刺激する。
甘い、甘い毒の香り。
「キッド……」
呟くように発した声だが、キッドにははっきりと聞こえた。わずかに顔を上げると二人の視線が絡み合い、そして互いに外せなくなる。
「キッド……二人でシアワセになろうか」
誰にも邪魔されない向こう側の世界で、二人で一緒に過ごそうか。
その向こう側は本当にあるのかも分からないのに、二人が共にいられるとも限らないのに。
……むしろ、一緒になど存在出来るはずないのに、新一の双眸は真摯な光を湛えたままで、まるで其処こそが真実の楽園であるかのごとく、愛しい者を誘う。
そう……、それを本当に望んでいるのは、花を差し出す彼ではなく、自分。
命の石が見付かって、彼は悲願を果たした。
美しい宝石は、粉々に砕け散り、永遠の生命への道を永久に閉ざした。
二人は、永遠の命など端から必要などしていない。だから、すべてが終わって、これでようやく自由になれると信じてた。……自由に生きられると。
───だけどキッドだけは知っていた。新一でさえ気づけなかった、彼の心の内を。
新一は快斗が好きだった。……そして、快斗の中に生きているキッドも。
新一にとって、そのどちらも「彼」であり、どちらかが居なくなるなんて事は考えられなかったのだ。
ちゃんと頭の中では理解しているのに、それでもどうしても離れたくない。
彼の中から『キッド』が消えた『黒羽快斗』を新一は今までと同じように想い続けることが出来るのか。
もちろん、それは可能だと新一は思ってた。そう思い込んでいた。
だって、彼は彼なんだから、たとえ彼の身体が不自由になったとしても、だから嫌いになんかならないし。それと同じ事ではないか。
むしろ、偽りの……亡霊と呼ばれた『怪盗キッド』の方こそ、存在してはならないモノ。
存在しない相手に想いを寄せて、奇跡のように成就して、彼の目的を遂げる為の協力を惜しむことはなかった。
そして、すべてが終わって、これから……これからというのに。
ああ、神様。彼はどうして、こんなにも、自分の心を理解してしまうのだろう。
お互い、気付かないままで居られれば……もっと、あともう少しくらいは幸せな時間を過ごす事が出来たのに。
「ゴメン……新一。オレ我が儘で……」
ゴメンな。
快斗だ。新一は思った。
目の前に居るのは、彼なのだ。既に彼の中から『キッド』は居なくなっているだと。
そして何より、最も苛立っているのは彼自身なのだと。
「オレは、新一を離したくない。傍から離れないで欲しい」
俯く彼の表情は見えず、しかし、今までで一番苦しい顔をしていることは、見なくても分かる。
「快斗……」
「離れていくお前を見ていたくない」
ああ、神様。自分はなんて、こんなにも、シアワセなのだろう。
「離れないよ」
それは揺るぎのない強さで、快斗の鼓膜を刺激した。思わず顔を上げる快斗の視界に迷うことなく飛びこんんでくる新一の姿。
「オレも離れたくないから」
二人で向こう側に行こう。
其処がどんな世界なのか、今は全く分からないけれど。
この花が、二人を向こう側に運んでくれる。再び訪れる幸福は、きっと永遠に続くはずだから。
その時は、この世界で最期まで言わなかった言葉を伝えよう。
あまりにも陳腐な愛の言葉を。