毎日が幸せ
カーテンがふわりと揺れた。
「……快斗、寒い」
窓を開け放った快斗に、リビングのいつもの場所で、本をめくっていた新一が不満の声を上げる。
それは、この工藤邸でお目にかかる、いつもと変わらない光景。
しかし、そんな新一の態度に、黒羽快斗は少しうんざりした。
「多少は、空気の入れ換えも必要だよ」
外は気持ちの良いほどの晴天で、室内よりも断然暖かいのに。
どうして、彼はこんな所で読書に耽っているのだろう。
「新一、どっか遊びに行かない?」
スゴクいい天気だぜ?
昼間っから、家の中で本を読んでるだけなんて、勿体ないじゃん?
「………行かない」
素っ気なく告げる新一の返事は、快斗の予想通りで。
そんな予想当たったって、ちっとも嬉しくないけど。
「そんなコト言わないでさ。───たまにはオレに付き合ってよ」
新一の側までやって来て、その顔を覗き込む。
新一は、ちらりと快斗を一瞥するが、再び活字へと視線を戻す。
その態度が、あまりにも快斗の存在が稀薄であると新一に言われているようで、心の中が少しだけ冷えた。
快斗は思う。
なんで、こんなヤツ、好きになったんだろう。
態度は不遜だし。
自尊心は高いし。
生意気だしさ。
顔は自分とそっくりだし、声もそっくり。
オレって、別に被虐的な人間じゃないんだけどなぁ……。
人を好きになるのに理由なんてないのだろうけど、それでも惚れてしまった相手が悪いのかな、とも思ってみたり。
新一は決して、快斗を邪険にしている訳ではない。
ただ、彼にとって今最も優先させるべきは目の前の活字であって、快斗ではないということ。
時と場所と感情を間違えなければ、自分だって新一の一番になれるのに、だけと今の快斗にはその時まで待てなかった。
「新一♪」
だから、敢えてご機嫌な声を出しながら、彼の興味の素である本を取り上げた。
「快斗!」
突然手元から忽然と姿を消してしまった事に、不機嫌を僅かに越した声が快斗の鼓膜を刺激する。
だけど、その程度じゃ怯まない。
「付き合ってくれなきゃ、返してやんない」
快斗は手元を巧みに交差させて、それを消し去った。
この程度コトはお手の物。
しかし、新一は少し驚いたように目を見開いて、それから、躍起になって問い詰める。
「何処に隠したんだよっ!!」
まだ、半分も読んでいないんだぜ!
しかも、滅多に手に入れられない限定本。
こんな風に取り上げられるなんて、たまったもんじゃない。
快斗に向かって手を伸ばす新一に彼は薄く笑って見せた。
「新一の出方次第だよ?」
大人しくオレに付き合ってくれればいいんだよ。
別に、イイコトしよう、って言ってる訳じゃないんだし。
そんなに拒むような事じゃないと思うケド……。
両手をひらひらさせて、新一の言葉を待つ。
その姿、じっくり観察しても、新一は快斗がどこに本を隠し持っているのかは分からなかった。
だから。
短い沈黙の後、大きなため息を一つ。
諦めたような表情。
新一は、顔を上げた。
「…………で?……何処に付き合えばいい訳?」
渋々といった声音ではあったけど、その言葉に快斗の表情は、ぱっと華やいだ。
「じゃあ、公園に行こう」
「………公園?」
公園、って、……近所の公園?
歩いても5分とかからない、あの小さな公園の事か?
「公園までは、のんびり歩いて、そこで一休みしてお茶するの♪」
近くの自販機で飲み物買って、空いてるベンチに腰掛けて、新緑の木々の眩しい緑を眺めながら、ほんの短い一時を過ごす……。
さも嬉しそうに快斗はそう言った。
しかし快斗の言葉に新一は、少しだけ不思議そうに眉を寄せた。
だってそれくらいなら、1時間もかからないような気がする。
新一から大事な本を奪っておいて、やりたい事はそんな些細な事?
「だって、新一読みたいんだろ?」
快斗は当然のようにそう言うと微笑んだ。
新一が、どれだけアレに夢中になっているか知っている。
なのに、そんな時間の邪魔をしてしまうのは自分のワガママだから。
ほんの少し、オレに付き合ってくれればいいよ。
新一が、自分の為に時間を割いて付き合ってくれる。
それだけで満足。
そう。
たったそれだけで満足出来ちゃうなんて、ささやかな望みだとは思わない?
「しゃーねーな……」
小さなため息一つ付いて、新一は快斗の腕を取った。
その掌から伝わる熱は、決して不快なものは感じなくて……。
「なら、行くぞ」
渋々と言った口調の端には、柔らかさが見えた。
言葉ほど、嫌がっていないその態度。
快斗は、新一に手を引かれながら、嬉しそうに微笑む。
うん。
こんな風に出掛けるのも悪くない。
外は本当に良い天気。
雲一つない空はどこまでも青くて、それだけでも出掛けて良かったって思えるはずだから。
そしてほんの一時、2人で同じモノを見て、色んな事を感じよう。
何時までも2人でこんな風に、ささやかな幸せの日々が送れる事を祈りながら。