流星浴





日が暮れる前から姿を見せていた月が、夕暮れと共に光を帯び、次第に強く輝きを増す。
しかし、今夜の月は細い細い三日月。美しくしなった弓のように弧を描いた月が西の空に輝いていた。
今宵の月は、一晩中席巻する事はない。


その月が完全に姿を隠した時刻。新一は、支度を済ませると家を出た。

ありふれた日常の中の非日常。秘め事のような逢瀬の中で、珍しく彼は新一を誘った。
いつもは、彼の仕事に合わせて逢っていた二人で、それ以外で示し合わせる事など、全くと言って無かったはず。

しかし、以前逢った時に今晩逢って欲しいと、わざわざ場所まで指定して新一を呼び出した。
もちろん、新一にとって恋人と逢うことが出来る数少ないチャンスをふいにするつもりは更々なかった。表向き面倒臭そうに装っておきながら、その実次に逢える事を喜んでいたのだ。
そして……相手はそんな新一の心の内を正確に読み取っていたはず。

でなければ、あんなに機嫌良さそうに新一に微笑んだりしない。


何時もと違った約束を交わし、新一は待ち合わせの場所へと向かう。常に仕事に関係した所でしか逢っていなかったから、今夜の逢瀬に何か特別な意味でもあるのかと、そんな事を思った。

泥棒が探偵を誘う。普通に考えれば有り得ない関係。しかも二人はまだ若く、そして同じ男でもある。
指定された場所は少し遠く、一体何があるのだろうと内心期待しながら赴いた新一だったが、期待はあっさりと裏切られた。

何もない場所だったのだ。


グラウンドのような広さ。しかし照明はなく、真っ暗闇だった。……確かに此処に来る際に乗ったタクシーでも同じ事を言われた。「何もないですよ」「真っ暗ですから危険ですよ」と。
確かに普段は何もない場所かも知れないが、あの男が誘ったのだから、今夜はきっと「何か」あるはずだ。と根拠のない確信を抱いて来ただけに正直拍子抜けした。

阿笠博士改造の腕時計を外しライトとして周囲を照らすが、本当に何もない。しかし足元は手入れの行き届いた芝の感触が伝わってくる。

誘った当の相手は未だ姿を現さない。その事に新一は苛立ちを隠さなかった。
「ったく、何なんだよ。何もねーじゃないか!」




「待った?」
背中からふわりと抱きすくめられて、驚いた新一は思わず時計を地面に落としてしまった。
気配を消すのが誰よりも上手い男は、恋人である新一にすら気取らせない。
「……キッド!」
近くに居たのに気付かなかった自分が悔しいのか、不機嫌な声で名を呼ぶ新一に、キッドは躊躇いもなくその見え隠れする彼の首筋に口唇を寄せた。
そのまま口唇で彼の肌の感触を確かめた後、ぺろりと舌で嘗め上げる。
「……っ!」
驚く、と言うより敏感に反応した身体にキッド小さく笑って、彼はそっとその身を解放した。

地面に落ちた腕時計を拾い上げ、それを新一に手渡す。やわらかな芝の上に落ちた為壊れる事はなかった。差し出すそれを彼は憮然として受け取った。
「……ばーろ。来て早々、ヘンな事すんな」
照れ隠しにぶつぶつ言いながら時計を填める新一に、キッド微笑う。
「別におかしな事などしていませんが?」
久しぶりに逢った恋人にこの程度の事は普通でしょう?と微笑まれ、新一はうっすらと頬を染めた。暗がりの中その反応はキッドには見えなかったが、深い付き合いを続けているのだ、見えなくても分かる。

「所で……こんな所に呼び出して、一体何の用があったんだ?」
それまでの熱を振り払うかのように、新一は訊いた。
こんな風に場所を指定されたのは初めてだ。事件とは一切関わらず新一と逢うのも初めてだった。
一体何があって、此処に呼び寄せたのだろうと、新一はずっと気に掛かっていたのだ。

「何か……此処に何かあるのか?」
「いえ、何も」
新一の期待を余所にキッドは軽く首を振って答えた。
「……何もないのに、此処にオレを呼んだのか?」
てっきり『何か』あると信じ込んでいた新一は、キッドの言葉に不満を滲ませた。しかし、キッドはそんな新一をきにする風もなく笑っている。
「此処には何もありませんけど……この頭上に」
すっと腕を持ち上げて、天に向かって指をさす。釣られるように新一が空を見上げると、そこは満天の星。
何時もKIDが従えている美しい月は今はなく、暗闇に競うように瞬いているのは、数え切れない程の星々。

「……すげぇ」
「綺麗でしょう?」
感嘆の声を上げる新一に満足げにキッドが笑う。

都会の街中にあるような余計な人工光が全くないこの土地で、天空は煌びやかに瞬いている。
「これを……見るために?」
「それもありますが」
新一の問いにキッドは少し言葉を濁す。天に向いていたままの視線を恋人に戻した新一は、小さく首を傾げてみせた。

その態度が妙にあどけなくて、キッドは再びその腕に彼を包み込みたい衝動に駆られるが、微苦笑を浮かべてそれを耐えた。そんな彼の心の内を知らない新一は、相変わらずな態度でじっとキッドを見つめている。
「キッド?」
夜目に慣れたその瞳は凝らさなくても、キッドの双眸に恋人の姿がはっきり映し出される。

「今夜は、流星群が見られるに絶好の夜なのですよ」
「流星群?」
年間に活動する流星群の中でも、最も活動的な流星群。今夜はその流星が最も良く見られる日なのだ。

「3大流星群の1つなのですが、ご存知でしたか?」
「オレ、天体に関しては全く……」
確か、しぶんぎ座、ふたご座……それからペルセウス座流星群。と、自信なさげに呟く新一に、キッド「正解」と言って笑った。
「今夜の流星群は、中でも明るいものが多くて、流星痕を残す事が多いのですよ」
ただ、速度が速いのが難点ですね。……折角の流れ星なのに、願い事をする前に流れてしまうかも知れません。

そう言って、まるで少女らしい不満を漏らすキッドに、新一は少しだけ呆れた顔を見せた。

「願い事……って。お前、そんなものを信じているのか?」
「新一は、信じてない?」
問いを逆に聞き返されて、新一は言葉を詰まらせる。

新一は当然信じていないのだが、ここで「信じていない」と言ってしまって良いものだろうか。と、どうでも良い事に頭を悩ませる。
「夢のあるおまじないですよ。……たまには非科学的な事をしてみるのも悪くないでしょう?」
付き合って頂けますよね?
キッドのどことなく不安気な問いが新一には何だか可笑しい。

恋人と一緒に居られるのなら、どんな事だって付き合えるのは相手だって分かっている筈だ。
普通の恋人同士と違って滅多に会えないのなら尚更。

新一は笑って頷いた。











空を見るには、上体を起こしたまま見上げるより、横になった方が断然良い。首も疲れないし楽だ。
視界の開けたこの場所は芝が敷かれていて、寝転ぶには丁度良い。キッドも新一も二人仲良く並んで横になった。

「にしてもすげぇな……こんなにたくさんの星、都会では絶対見えねぇ」
改めて感嘆する新一にキッドも頷く。
「都会は光害の酷い場所ですからね。……それに比べて此処は真の夜空を見ることが出来る」
お誂え向きに今夜の月は早々に離れた。天体観測にはもってこいの空であり、天気だ。

新一は両手を頭上に上げて大きく伸びをした。夜風が心地良く頬を撫でる。
「それに、夜空を見るには、悪くない気候だな」
気持ち良さそうに目を細める新一に、キッドは起き上がった。
「でも、夜風は身体を冷やしますよ」
そう言って、彼はふわりとマントを彼に掛けた。……自らの身体毎。

「……ちょっ!」
いきなり身体に覆い被されて驚いた新一が声を上げる。しかし、キッドは気に掛ける風もなく、新一の上に馬乗りになった。
「こうすれば、きっと風邪も引かずに済みますよ」
新一の動揺を余所に涼しい顔でそう言うと、そっと体重を掛けていく。
「おまっ……!んな事されちゃ、空が見えねぇだろ!」
折角の流れ星を見逃してしまう。
「大丈夫。……ピークはまだまだ先」
「……ピークって、何時?」
何やら嫌な予感を感じて、恐る恐る訊いてみる。するとキッドは笑みを浮かべた。……どう見ても、意地の悪い微笑。
「目安としては、午前2時から3時、かな」
「ごぜ……」
まだ今夜は日付すら変わっていない。
「本当は明け方がピークなのですよ。だから、まだ空を凝視していなくても大丈夫」
そう言いながら、ゆっくりと更に深く覆い被さっていく。
「ばっ……!んなら、こんなに早くから此処に来る必要ねーだろっ……」
「……黙って」
キッドは更に近付いて、そっと吐息を奪った。

まるで五月蠅く喚く口を封じるかのように、しっとりと彼の口唇と重ね合わせてそれ以上の抗議を封じた。

何もない夜空の下で、時の流れを告げるのは、時折吹く風だけ。
「……ん」
静まり返った静寂の中、新一は恋人の口づけを受けて、甘い吐息を漏らした。
普段はクールで、ともすれば冷たい印象すら与えてしまうその美しい貌は、うっすらと朱に染まっていた。キッドによって無理なく抑え込まれた身体が、微かに揺れている。

まるでそれに応えるかのように、キッドのしなやかで長き指がするりと新一のシャツの中に滑り込んできた。
「キッ……よせっ!」
吐息の合間に、身体とは反して嫌がる言葉に、キッドは小さく笑う。構わずそれを引き抜くとたくし上げた。

「……やめっ……痛っ」
「何?」
生理的な苦痛を持って歪むその顔にキッドの手が躊躇するように止まった。
「……勝手に服脱すんじゃねーよ。芝って肌に当たると結構痛いんだぞ」
腰を降ろすには最適な芝生ではある。しかし、丈が低いといえ稲のような鋭い葉先は、肌に触れれば傷を付けるのは容易い。特に普段外気に晒されることのない箇所は只でさえ敏感なのだ。
起き上がろうと身じろぎしながら苦情を述べる新一に、キッドはそっと抱き起こした。
「それは気付きませんでした」
そう言って、肩から白いマントを外すと、素早く敷いて再び彼の身体を地に横たえた。その早業に新一が目を見張る間もなく、彼の秀麗な顔が近付いてくる。

初めから仕切り直しと言うように、優しく口唇を塞がれた。新一は理性とは別の所で生まれた快感に気付く。彼の行為を受け入れたがっているように高鳴り始めた鼓動に、気付かれないように冷静な振りして受け止めようとするのだが、上手く抑える事は出来ない。そして、そんな新一の心の葛藤など全てお見通しと言わんばかりに更に、キッドは深く吐息を貪った。
キッドのキスが新一の視界を静かに塞いでいく。それまで薄く開いていた双眸が深まるキスに呼応するかのようにゆっくりと閉ざされた。



「……っ、あっ」
何もないだだっ広い野原では、葉を揺らす音すらない。その所為なのか、吐息も声も一際大きく聞こえる。
新一は、吐き出す吐息にすら快感を表しているように感じて、恋人から逃れるように身を捩った。
喉元からゆっくりと鎖骨を舌で辿るキッドが不満気に眉を寄せる。
「逃げないで」
それとも、焦らしているの?と悪戯気に訊くと、一瞬にして新一の頬が紅潮し、それから拗ねるようにそっぽを向いた。

「……ムカツク」
「何か言った?」
分かってる癖に素知らぬ振りして覗き込んでくる。

「……別に」
あからさまな溜息と共に漏れた呟きに、キッドは含み笑いを漏らした。

キッドが宥めるようにその髪を撫でても、もう逆らうような素振りは見せない。触り心地の良い髪をゆっくりと梳きながら、そっとその髪に口づけを落とした。
徐々に機嫌が直ってきたのか、撫でられている感触が気持ち良かったのか、横を向いて視線を避けていた新一の双眸がちらりとキッドの方に向けられた。口元は相変わらず不機嫌そうに結ばれていたが、それは素直になるのが癪だからそうしているに違いない。何だかんだと言って、新一は優しくされるのが好きなのだ。

「機嫌直った?」
やわらかな髪に口唇を寄せたままキッドが囁くと、新一は無言のまま彼の腕にそっと手を掛けた。そのままゆっくりと肩口まで指を滑らせる。
キッドはその控えめな彼の求めに、満足気な笑みを漏らした。もちろん、そんな表情を見せたらまたすぐに不機嫌になるのは分かっている。求めに応じるように顔を上げて新一と視線を合わせた時は、先程とは打って変わって優しく甘い微笑みを見せると、躊躇うことなく彼の薄く開いた口に己の口唇を重ね合わせた。

軽く伏せた彼の双眸。睫毛が小刻みに震えているのが見て取れた。キッドは新一とキスをする時、何時も初めての時を思い出す。
決して強引ではない、互いに受け入れて交わしたキスなのに、彼は瞳を閉じようとはしなかった。それが何だか不満で、だからキスの時は目を閉じるのがマナーだとキッドが窘めると、逆に「お前だって目を閉じてなかったじゃねーか」と責められた。
それ以降、彼にそうさせるには強い快感と陶酔で我を忘れさせるしかなかったが、容易いことでもあった。新一は人より肌に受ける感覚が鋭い。敏感な身体はすぐに熱を帯び、恋人の身体に絡みついてくる筈。

がしかし。
仰向けにさせられたままキッドに抱かれていたその視界には、当の恋人とそして深く広がった星空。

「──あっ!」
先程までとは打って変わった声を上げると、新一はキッドを押し退けると勢い良く起き上がった。
「何……!?」

「今、流れた。流れ星!」
「流れ星……?」

突然現実に引き戻され、キッドは何とも言えない情けない顔をした。
「お前、今見たか?」
「……見える訳ないでしょう」
新一に覆い被さって……彼とは逆に地面に向かった体勢で居たキッドが、頭上の出来事など知りようはずもない。
「凄かった。丁度天頂付近からあっちの方へ……かなり長く尾を引いてたぜ?」
軌跡を指で描いて半ば興奮したように頬を紅潮させて嬉しそうに話す新一に、キッドは益々脱力する。

「……新一」
「あ!今度はあっちだ、ほら!」
後方上空に走った光を視界の隅で捉えた新一が声を上げて仰け反った。そのまま後方に倒れ込みそうになるのをキッドの両腕が慌てて支える。
「今のは見えた?」
「見逃したかな」
「ちゃんと見てろよ。……お前、此処に何しに来たんだ?」
流星群見に来たんじゃないかよ。

些か呆れた口調で溜息をついた新一だったが、呆れたいのはキッドの方だ。
「ピークになれば、……それこそ見逃してもすぐに次の流星が見る事が出来ますよ」
流星群は、ある一点を中心に放射状に流れる。輻射点のある星座を中心にして見ていれば、おのずと視界に入ってくる。それには、まだ後数時間はある。

それまでは、ほんの少しで良いから甘い気持ちに浸っていたいと思うのは……間違っているのだろうか。

キッドは新一の背中に両腕を回したまま、強引に押し倒した。
「ちょ……っ!!」
そして、抵抗される前に片手で彼の双眸の視界を閉ざす。
「てめ……何しやが……んっ」
「暫くは空なんて見なくてよろしい」
そう言うなり、最後は五月蠅く喚く彼の口唇を塞いで、黙らせた。

「んっ、……ん」
容易く口内にもぐり込んだキッドの舌が、反射的に逃げようとする彼の舌を捕らえて、強引に絡ませる。僅かに漏れる新一の濡れた声がキッドの耳には心地良い。
視界を奪われると感覚が鋭くなるのか、最初は躍起になって外そうとしていた彼の腕がいつの間にかキッドの肩にに縋るように添えられている。

「夜空が身頃になるまでは、私に付き合って下さいね」
キスの合間、甘く彼の耳元で囁いて、しなやかな身体を愛撫し始めた。











流星群は、予想通りに午前2時にピークを迎えた。漆黒の空に瞬く星。その中に美しい弧を描いて流れ消えていく星を、キッドは腕の中に恋人を抱き寄せたまま空を見上げていた。
新一は気を失ったかのように眠っている。体温が下がらぬように彼の身体をマントで包んでやりながら、手加減出来なかった己を心の中で詫びた。
流石に流星雨とまでは行かないが、それでも間をおかずに流れる様にキッドは目を細める。頭上で火球クラスの光が走り、流星痕が暫く残ったままのを見て、願い事は今からでも間に合うかな、と苦笑しつつ思っていると、ふいに腕の中の恋人が身じろぎした。

「……新一?」
そっと静かに優しく囁くと、新一は眠そうに瞼を押し上げてキッドを見た。

「……ねむい」
気怠げに呟くと再び目を伏せる。そして小さな吐息。
「……クソッ……折角の……」
流星群なのに……。

言葉は最後まで続かなかった。そんな新一にキッドは申し訳なさそうに髪を撫で慰める。
「大丈夫……明け方まで続くから。もう少し休んでいるといい」
空が白んでくれば、もちろんいくら流れ星が降っていようとも目にすることは出来ないのだが。それでもまだ少しは時間もある。

新一が覚醒したら、きっと不機嫌になるだろうと思いつつも、今更なのでどうしようもない。その時は素直に彼の怒りを受け止めようと殊勝にも決意している所、本気でかなり無理させたのが窺い知れる。

そんなキッドの心の内を知ってか知らずか、新一が口の中で小さく呟いた。
「……願い事……」
「はい?」
「………しておけよ」
折角だから、さ。と、新一が言う。

キッドは、非科学的な事は一切信じないと思っていた恋人から、妙に夢見がちな事を言われて内心驚いたが、すぐに破顔した。手触りの良い彼の髪に指を絡める。
「それでは、二人の幸せを願いましょうか」
「……ん」
満足気な吐息をついて、その口元に穏やかな笑みで広がる。


「……あと……は」
捜し物が早く見付かりますように。

新一の言葉は最後は声にならなかったが、彼の耳には はっきり聞こえた。
キッドは、再び緩やかに眠りにつく新一を起こさぬように優しく抱き締めて、その心遣いに感謝した。


たくさんの星が流れる夜は特別。ならば、本気で願ってみるのも悪くない。
今夜は、その一瞬の光の流れに追いつく事が出来るかも知れない。



「願い事、叶うかも知れないね」
眠りについた新一に、キッドはそう囁いて、そして流れる星に願いをこめた。





NOVEL

(※ これは、2002年夏のお話です)
2003.08.13
Open secret/written by emi

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