馨香





恋人の招待を受けてその部屋に足を踏み入れた時、強くむせ返る芳香に、一瞬気が遠くなった。
目眩が収まらない、室内に漂う甘ったるい薫りに思考が散る。

まるでそれは彼の計算の内だったかのようだった。
キッドは、足元のおぼつかなくなった新一の身体を素早く支え、濃厚な薫りが漂う中、新一はそのまま彼に組み敷かれる。暴力めいてではなく、強引ですらない彼の中に、そして新一も自ら囚われるかのように受け入れた。

この強すぎる芳香が、意識を拡散させるようだった。加えて、間近に顔を寄せて微笑む恋人の表情が甘くて、まるで夢の中に堕ちていくかのように、新一の理性は侵食されていった。

キッドは、新一の顔を両手で包み、口づけた。彼の薄い口唇を舌でなぞり舐め上げ、そしてゆっくりと口腔を犯していく。
口唇を彼に許し、成すがままに蹂躙される。

しかし、新一はぼんやりと彼を受け入れている訳ではなかった。新一の指先がゆっくりと彼のネクタイに向かう。ノットに指をかけると、差し込んで解いた。するりと解かれる感覚を意識しながらも、キッドは新一の口唇から離れる事はなかった。
緩慢でいながら的確な所作で、シャツのボタンを一つずつ外していく新一の指。キッドが薄く瞼を上げると、夢うつつのようなとろりとした瞳がこちらを見つめていた。その視線はまるで定まらず、しかしそれでも彼の指の動きは止まらない。
シャツのボタンを全て外し終えると、強引に裾を引き上げて肌を露わにし、そのまま自分より少しだけ逞しいその肉体に指を滑らせた。

「イタズラな指」
キッドはそう言って小さく笑う。そして、恋人に倣うかのように新一の首元から瞬時にしてネクタイを取り去った。それをまるで紐代わりにするかのように、縦横無尽に彷徨う新一の両手を捉え、あっさりと拘束してしまう。

柔らかく、しかし容易には外れぬ、両手首を縛られた新一の腕。
只、彼の身体に直に触れたかっただけなのに、どうして戒められなければなにないのだろう。新一は少し不思議そうな表情を浮かべた。

そんな彼の態度に、キッドは少し意地悪めいた笑みだけで応えると、淫らに衣服を乱しながら愛撫を進める。
キッドのしなやかな指先が新一の身体をくまなく這い回り、彼の口唇もそのしっとりとした滑らかな肌から離れない。
「あ…っ…キッド……」
切なげな吐息は甘く乱れてキッドの欲を煽りたてる。縛られた両腕で彼の髪に触れ、更に新一はキッドを誘った。
意識的なのかそうでないのか、潤んだ瞳の焦点は曖昧で、だからこそ無意識に望まれているのが判る。キッドはそれに応えるかのように、立てた彼の片足のくるぶしから膝に掛けてゆっくりと撫で上げた。そして、導かれるかのように更にその先へと移動する。

身体の奥深くで疼くモノを抑え切れずに、欲望を露わにしていた新一自身が、恋人を待ち望むように震えていた。キッドが躊躇うことなくそれに指を絡めると、強く脈打つ様が掌に伝わってきた。
欲しいのは、互いも同じ。ただ純粋に、それを自分のものにしたいと感じ、キッドは迷わず実行に移す。
すでに透明な蜜を滴らせている新一の先端に、口唇を寄せる。
「……んっ……!」
漏れる声は掠れ、吐息は甘く漂う。
新一の最も欲していた部分を口に咥え、吸い、舌を使いつつ、更に指で愛撫を加え続ける。

新一は恋人の名を何度も口唇に乗せて放った。快楽だけを追うように淫らに腰を動かして、キッドに愛撫をねだる。
「ああっ……キッ……!」
絶えられないと言うように、切なげに喘いで限界を知らせると、キッドはそれに応えるかのように、更に舌を強く絡め、きつく吸い上げた。
「……くっ……!」
ネクタイで戒められた腕が無意識にキッドの頭を抱え込み、小刻みに身体を震わせながら新一は恋人口の中で達した。


喘ぐように息をつく口唇。ぐったりと弛緩した身体を抱き締めると、新一の双眸が僅かに押し上げられた。
恋人を抱き締めようとして……ふとした違和感に気付く。

「何だ……コレ」
「あ、無理に動かさないで」
今になって拘束されている事に気付いた新一が、闇雲に解こうとして手首を動かすのをキッドが止める。
無理に解こうとすれば、益々きつく戒められるのが、この手の時に使われる手法だ。

「……解け、よ」
「もう、イタズラな事しない?」
「……?」
イタズラをした覚えはない。小首を傾げる新一に微苦笑を漏らしつつ、キッドは彼の両手首の拘束を解いた。
そのまま濡れた指を新一の後ろに押し当てると、弛緩した身体を容易に飲み込んでいく。
一瞬息を詰める声がして、キッドが見やると、眉を寄せて身体に与えられる苦痛に耐える新一の顔があった。

「……新一」
労るような響きで新一を呼ぶ。もう一方の掌で、彼の頬を撫でた。安心させるように優しく触れる指と、新一の内部に入り込んで探るように動き回る指。
新一は縋るモノを欲して、キッドの首に自由となった両腕を巻き付けた。

「……っ」
強く新一を刺激する部分を掠めて、思わず声が漏れる。何度も愛し合い、キッドも慣れ親しんだ身体である筈なのに、新一は何時も何処か奥ゆかしい反応を示す。
キッドの指が濡れた音を奏で、新一の吐息が彼の首筋に熱く掛かる。

丁寧な愛撫は時にしつこさを増す。時折新一が、そんな粘着質なキッドの性癖に不快を露わにするが、恋人を決して傷付けない為だ。キッドは、例え新一自身が望んでも、彼の傷付けるような真似は決してしない。

焦れた新一の身体が、キッドの身体に押し付けるように擦り付けた。
キッドは切なげに示す恋人の昂ぶりに微苦笑を浮かべると、中でかき回していた指をゆっくりと引き抜いた。

「欲しい?」
ほんの少し意地悪な笑みを見せて訊くと、官能的に喘いでいた新一の表情が微妙に変化した。
「……お前は……いらないの……か?」
逆にそう問われ、キッドは彼を苛める事をあっさりと放棄する。

「欲しいですよ……堪らなく」
そのまま新一の両足を持ち上げて、時間に追われた子供のように性急に一つに繋がった。
わざとなのか、それとも本当に余裕が無くなったのか。先程までとは打って変わった性急な動きに、新一の身体が悲鳴を上げる。

「……大丈夫?」
苦しげに歪む表情を見て声を掛けるが、動きは止まらなかった。新一の身体は、キッドに深く突かれる度に何度も仰け反る。
「……んんっ、…あ…ぅっ……」
答えにならない声で応える新一に、キッドは躊躇うことなく腰を進める。
きつく背中に回された新一の両腕のその指先が、時折キッドの肌に鋭い痛みを与えたが、それすら官能にしかならない。

いつもの鋭い眼差しは、今は艶めかしく揺らいでいる。
「……新一」
恋人にその名を呼ばれただけで、新一の身体は新たな快楽を感じているようだった。透明な雫が溢れて、互いの下腹部を淫らに濡らした。

「あ……っ、う」
苦しいのか、新一の背中が軋む。キッドがそれまで放っておいた新一のソコを掌で包み込むと、今にも弾けそうな程熟れきっていた。

「……さ、わんなっ…は……んんっ」
今にも達しそうになるのを必死に抑えているように、何度も頭を振る。そんな新一を愛おしげに見つめ、更に指が刺激を送る。
「我慢しなくていいから」
好きな時に達って良いんだよ。と、そう耳元で囁かれ、新一の肌が益々朱に染まった。

そして、互いが我慢出来なくなった身体は、欲望に忠実になって動き出す。
「……いや……っ、う…っく」
キッドを受け入れていた場所が激しい収縮を繰り返し、新一の身体は痙攣したように震え、互いの肌に熱い飛沫が散った。
二人を繋いでいた部分が強く締めつけられたその快感に、キッドの身体もその波に自らを投げ出したのだった。











室内は、相変わらず濃厚で芳醇な薫りに包まれていた。

「……何なんだ」
シーツに突っ伏した新一が気怠そうに呟くのを聞き逃さなかったキッドが、彼の髪に触れてくる。
「何?」
「この匂い……わざとか?」
室内に漂う芳香は、あまりにもキツイ。まるで香水でもぶちまけたような……そんな気すらした。

新一の不快を含んだ響きに、キッドは「ああ」と納得した様な声を上げた。さり気なく彼の髪に口づけを落とすと、ベッドから離れる。
キッドによって翻弄された身体は、今はまだ自らの力で動かすのも億劫で、新一は目線だけでキッドを追った。

彼は、あらかじめ窓辺に用意されていた物を手にすると、すぐに新一の元に戻ってきた。
その手の中にあるものを見て、新一は不愉快な表情で眉を寄せる。

「……おい」
「私の気持ち、受け取っていただけますか?」
目の前に差し出されたのは薔薇の花だった。室内に漂う芳香は、全てこの花から発されているらしく、濃密な甘い香りが鼻孔をくすぐる。いつもの彼らしく優雅な仕種で捧げ持つそれに、しかし新一は益々顔を顰めた。

「いい加減にそんな事をするのは止せ。……花を貰って喜ぶ程、オレは女々しくない」
過去を振り返れば、彼は事ある毎に新一に花を贈っていた。マジックのように取り出した一輪の薔薇から、豪華な花束まで。
花や宝石を贈れば喜ぶ女と同一視されては不愉快だと、新一は兼ねてからずっとそう思ってきたし、その事を伝えた事もあった。
それでも懲りずに差し出す恋人の態度に、新一は不快感を募らせる。

見たくもないと顔を背ける新一に、キッドは殊更落胆の色を浮かべた。
「今日くらいは、受け取っていただいても構わないでしょう?」
「……?」
「今日は『Dozen Of Roses Day』(注)。恋人に薔薇を贈る特別な日なのですから」
「ダズン……?何だそりゃ」
聞き慣れない言葉に、新一は振り返ると怪訝な顔をした。

「この1ダースの薔薇に愛情を託して、恋人に贈る日の事ですよ」
彼の手の中にある薔薇の花は丁度12本。
「……また下らない記念日を探してきたのかよ」
呆れたように吐息をつく新一にキッドも苦笑する。

「そんな事言わないで」
「どうせ、商業ベースに乗せたい何処かの誰かが適当な理由を付けて勝手に決めた日なんだろ?」
「時期が時期だけに、一向に世間に浸透する気配はなさそうですが」
軽く首を竦めながら微笑むキッドに、新一は益々不快な顔をした。

「判ってんなら、そんな下らない事にオレを巻き込むな。……たく」
「でも、私は出来る時に色々なことを貴方と一緒に楽しみたい」
二人は、何時でも気軽に逢える恋人同志ではないのだから。
毎日一緒にいたいと願っても、その望みを叶えるのは酷く困難で。もしかしたらこの先にある、様々なイベントすら一緒に過ごせないかも知れない。

「クリスマスも年越しもバレンタインも誕生日も、貴方と一緒に過ごしたい、祝いたい。……でも、必ずそれが叶うとは限らない」
なら、出来る時に、恋人らしい事を楽しみたいと思うのは、我が侭なのだろうか。

どれだけ想い合っていても、所詮は探偵と泥棒なのだ。何時、二人の距離が遠く離れてしまってもおかしくない。

「せめて、一緒に貴方と過ごせる今を楽しみたいと思うのは、私の我が侭なのですか?」
悲しげに眼を伏せる。それが本気の仕種なのか、それとも演技なのか。
それでも、そこまで言われると、新一も無下には出来なかった。軋む身体を慎重に動かし、半身を起こす。そんな新一を支えるようにキッドの腕が背中に回された。

新一だって、キッドが嫌いな訳ではない。むしろその逆で。自分のこの想いは、きっと目の前の男よりずっと深い筈だと自負している。……絶対に言葉にはしないけれど。


何時もとは趣の違う薔薇の花束を、新一は黙って受け取った。それだけの事なのに、キッドは嬉しそうに表情を緩めた。

「……にしても、強い匂いだな。この薔薇」
触れた所、棘は綺麗に取り除かれていた。深みのあるピンク色の薔薇は、普段彼が手にしている薔薇とは少し趣が違う。

「オールドローズですよ。聞いたこと無い?」
薔薇の原種に位置づけされる総称。正確には、1867年より前の薔薇をオールドローズと呼ばれているそれは、香りが強い事で知られている。
特にキッドが選んだ薔薇は、その中でも一際芳香性に優れていた。
「オールドローズ……ねぇ」
花の種類には興味が希薄な新一は、その香り豊かな花弁をつつく。

「これはダマスク系で『ロサ・ダマッセナ』。……別名の方が有名かな?『ブルガリアン・ローズ』と言うのだけど」
「ああ、香水の原料にされている種類だ。……道理でキツイ匂いのはずだ」
聞き覚えのある名に、新一は直ぐさま反応した。妙な所に雑学ぶりを発揮する。

「新一に最も相応しい薔薇を選んだつもりなんだけど、気に入った?」
「……オレ、こんなに匂う?……臭い?」
複雑な顔をして訊いてくる新一に、キッドは破顔した。薔薇の花毎抱き締める。

「新一って、まさにこの花そのものだよ」
現代の人に好まれるような確立された美を誇る薔薇とは一線を画したその佇まいは、清楚な美しさがある。
仄かに色づいた清楚な姿。なのに、こんなにも強い薫りで人々を惹き付ける。

それはまるで、己の存在にも魅力にも自覚のない新一自身のようで……だけど、決して視線が外せない。
濃厚な薫りを無防備に撒き散らし、そして人を惑わせる。

自覚のない彼は、甘い薫りに誘われる厄介な蜜蜂達の存在すら気付かない。


「本当に……タチが悪い」
「……」
「でも、愛してる」


穏やかに、しかし真摯に囁く声に、新一は半分諦めたような吐息をついた。
そして、何時も変わらぬ心で愛してくれる恋人へ、そっと触れるだけのキスを贈る。想う事も、想われる事も、幸福の条件。
新一のキスに、キッドも微笑んでそっと口づけた。





清楚でいて甘く官能的に満たすのは、彼の胸元から立ち上る、ブルガリアン・ローズの馨香。





NOVEL
注)実際に存在するのは「Dozen Rose Day」

2003.01.15(2002.12.12)
Open secret/written by emi

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル