9月のバレンタイン -新一の気持ち-
別にそんなコト、考えた事もなかった。
今が楽しかったから。
多分、今までの人生で一番充実している時を過ごしているのだという確信があった。
だけど、そういう楽しい時間ってそう長くは続かないものなんだと新一は思った。
あれはまだ冬の真っ直中の出来事。
世間では「バレンタインデー」なんて、浮かれたイベントに女はおろか男までもそわそわと落ち着きのないあの日。
何をするにもいつも一緒の黒羽快斗とその日も大学の構内を歩いていた時だった。
快斗の前に現れた、可愛い女の子。手にはプレゼントらしき物を持って。
「話があるの」なんて、可愛らしい声で誘う彼女に快斗はすかさず「バレンタインのプレゼントならオレ、受け取れないから」とにっこりあっさり告げていた。
「もちろん、告白も受け取れないよ?」なんて、茶目っ気たっぷりのウインクと共にあしらって。
「ちょっと可哀想じゃないのか」と相手の女の子が不憫に思えて忠告したなら、
「だって、知らない女の子だし」
とあっさりと言われた。
常日頃から好意を表してくれている子がこの日に告白してくれるのならこっちも真剣に考えなくもないけど、ただこの日に乗じるだけの女の子にまで一々相手にしていられない。
快斗は些か憮然とした表情でそう言った。
新一は、恋愛事にはあまり経験がなかったから、そんなものなのかな、と何となく納得した。
だから、新一の元に告白してくる見知らぬ女の子達にも、快斗と同じようにお断りを入れていた。
確かに今、女と付き合いたいなんて思わなかったから、受け取ったしても相手の想いには応えられないから、それはそれで良かったのかも知れない。
だけど、まさか友達だと思っていたヤツからあんな物を貰うなんて。
バレンタインは一般的には女の子の行事である。
好きな男にチョコレートを贈る日。もちろんその常識は国内だけのものだけど。
まさか、男から貰うなんて、想像だにしなかった。
知らないヤツからの物ならあっさり断れるけど、知っている、しかも友達から差し出されたそれをどうすれば良かったのだろう。
取り敢えず受け取ったものの、それからどうすれば良いのか全く見当が付かなかった。
「新一って、オトコにもモテるんだ。スゴイね」
その様子を見ていたらしい快斗がいつの間にか側に来てこう言った。
新一はどう答えて良いのか判らず、ただ「だって、知ってるヤツからのじゃ、無下に断る事も出来ないし……」と言い訳がましく呟いた。
言葉も交わしたことのない女ならば、快斗の言う通りあっさりと拒否も出来るけど、それが友人からなら事態は変わってくる。
「ふぅ……ん。でもまぁ、受け取ったからには、ちゃんとお応えしなくちゃね」
明るい声でそう言うと、新一の背中をぽんぽんと叩いた。
「相手の気持ちには正直に応えてあげなよ」なんて、まるで逃げる事は許さないとでも言うようにアドバイスしてきた快斗。
……何がどうであれ、少なくとも快斗にだけは軽蔑されたくなかった。
事件と推理以外は無頓着な自分を理解してはいるけれど、だからと言って、人の気持ちを踏みにじるようなヤツだとは思われたくなかった。
だから新一は真剣に考えて考えて考えて抜いて、その一ヶ月後のホワイトデーにようやく決心した。
ずっと友達のままで過ごしてきたアイツ。その関係を壊すことなんて出来なかった。もちろん、今すぐに相手の想いに応えるなんて真似も出来なかった。
だから、新一は素直にそう告げた。
「お前の事好きだけど、だから付き合ってどうなるのかは自分では良く分からない」と。
優柔不断だと憤慨されるかも知れないと恐る恐る告げた新一だったが、相手の反応は予想外だった。
嬉しそうに笑って「それでも構わないから」と言われた。
新一は少しほっとして、差し出す相手の手を取った。
取り敢えず「お付き合い」をする事にしたと、新一は快斗に報告した。
快斗には色々と相談に乗って貰っていたし、一番の親友だったから新一の出した結論に軽蔑されたくなった。
新一の言葉に快斗は言及を避けた。快斗にとって、新一がどうしようと別に興味はないように見えた。
確かに快斗には関係ない。
そう思ったら、何となく心の中に小さなつむじ風が吹いたような気がした。
新一が「特定の相手」を作った事によって、もしかしたら快斗と疎遠になってしまうのでないかという新一の不安は杞憂に終わった。
それが嬉しくて、快斗に誘われるとうきうきしながら出かけた。
それはもしかしたら「恋人」と一緒にいるよりも浮かれている事に新一は敢えて気付かないふりをした。
その代わりに、新一は快斗よりも恋人との時間を優先させた。それが、相手に対する無意識の罪滅ぼしとも気付かずに。
快斗と過ごした時間を新一は別の男と過ごす。
段々遠ざかっていくような二人の距離に、自分が決めた事だというのに新一は一抹の寂しさを覚えた。
側にはいつも恋人が居て、それはとても賑やかだったりするのだけれど……だけど何処か空虚なこの心。
気付けば、何時も恋人と快斗を比べている事に気付く。
それまでなら、食事に行くにも映画を見るのも快斗と一緒だったから。何もすることもなく、ただぼんやりと怠惰な時間を過ごす時ですら、側には快斗が居たから。
どうしても快斗と重ねてしまう事を、新一は止めることが出来なかった。
しかし、相変わらずこの男との付き合いは続いた。拒む事も振り払う理由も見つからなかったから、ただ流されるままに日々は流れた。
そして、冬が終わり春が過ぎ、そして猛暑が訪れた時、それが限界と云わんばかりに新一の身体はダウンしたのだ。
典型的な夏バテだった。
毎年こんな風に倒れる事があったけど、今年は特に酷かった。
見舞いに来た恋人が心配げに覗き込んでくる事にすら苛立ちを感じる程に。
快斗ならもっと。
なんだかんだ言いながら、快斗は新一の事を良く理解ってくれいていた。
体調の悪い時も、新一が自覚する前から察していた節があった。
無茶をするとすぐ押し止められ、新一の不満を余所に自宅に送り返されたりもした。
一緒にテレビを見ていた時も、突然「寝ろ」なんて言ってベッドに押し込まれたりするのはしょっちゅうで、そんな時は大抵前日徹夜で読書していたりする。
だから、快斗と居るときは突然倒れたりすることなんて一度も無かった。
具合が悪くなる前に休ませてくれていたから……。
快斗だったら、快斗だったら、快斗だったら……!と。
新一はベッドの中で、そんな事ばかり考えていた。
初秋の季節になっても、その考えは変わらなかった。
食事に行こう。
いつものように恋人に誘われて、断る理由もなく新一はだけど億劫になりつつも出掛ける。
気温はまだ高い初秋。だけど風はこんなにも涼やかに頬を撫でる。
ふいに立ち止まり、空を仰げば澄んだ大気が高く蒼く広がっていた。
「……秋だな、もう」
いつの間にか、空はこんなにも高くなっている。季節が足早に通り過ぎようとしている。
「新一?」
突然立ち止まった新一に気付いて怪訝に声掛けてくる恋人。しかし、ふと視線を戻した恋人の向こうに……突然見知った姿が飛び込んできた。
「かい……」
快斗……?
すらりと背が高くて、立ち居振る舞いの美しい様は、それが後ろ姿でも充分良く分かった。少しくせのある髪が、時折吹く風に煽られてそよいでいる。誰も注目などしていないだろうに、常に「見られている」事を意識した姿……新一が見間違うはずはない。
その瞬間。
「オレ……お前と別れる」
どうしてだろう。唐突に、まるで誰かに操られたかのように、新一は言葉を紡いでいた。
別れの言葉を。
「……なに、突然?」
戸惑った相手の声が聞こえていたが、それより視線があの後ろ姿しか追えなくて。
何より、そう言った瞬間に、心に見えない光が差し込んで来たように気がして、この判断に間違いはないと確信した。
「────オレ本気だから」
もう、一緒にいられないから。
お前より、もっと一緒に居たいヤツがいるんだ。
本当は、最初からアイツ以上に一緒に居たいヤツなんていなかったけど。
これだけ付き合ってみても……オレは快斗と一緒の方がいいから。
「突然で悪いと思うけど、これで終わり。サヨナラ」
新一はキッパリと言い放つと彼の言葉を待たずに駆け出した。
背後から新一の名を呼ぶ声。しかし、新一には聞こえなかった。新一に背を向けて歩き出した快斗の背中しか見ていなかった。
「快斗!」
足早に歩き出した快斗を引き留めるべく思わず上げた新一の声は、相手の元に届いたようだ。
「新一?」
歩みを止め、振り返った快斗が少しびっくりしたような顔でこちらを見つめた。
新一は息を切らしながら快斗の側までやって来ると、息を整えつつ、快斗を見上げた。
「久しぶりじゃん。何?どうしたの、新一」
何時もと変わらない快斗の顔。久しぶりに見るその姿に新一は心がふわりと軽くなるのを感じた。しかし。
「この夏ちっとも会わなかったけど、何?アイツと『熱い夏』でも過ごしてた?」
なんてからかってくる。理由もなくムッとした。
「ばーろ、んな訳あるか!……夏バテでくたばってたよ」
少しムキになった口調の新一に、快斗は少し顔を曇らせた。
「そういや、今年の夏は異常に暑かったもんな。新一、元々夏の暑さに弱かったし……」
で、もう大丈夫なの?
そう尋ねられて、新一はこくりと頷いた。
「最近涼しいし、もう平気」
「良かった」
快斗はそう言って笑った。久しぶりに見る快斗の朗らかな笑顔。
何だかやっぱり快斗以上に新一の居心地を良くしてくれる人間なんていない。
用がないのに側にいても、それがちっとも不自然に思えない場所。
快斗だけ。
快斗だけが作ってくれる、そんな空間。
「それにしても、今日はどうしたんだ?オレに何か用でもあった?」
「別に、用ってもんはないんだけど」
「何?彼氏放っておいてもいいの?……フラレちゃうよ?大事にしないと」
そう茶化す快斗に、新一は顔を上げあっさりと告げる。
「ああ、別れた」
「……うそ」
「ホント」
「何で?」
「何で……って」
新一はふと口ごもると、顔を伏せた。
「……その、まぁ色々あって」
「そっか……知らなかった」
「ああ、……今さっき別れてきたばかりだし」
「え、────今!?」
あからさまに驚く快斗に新一の方が吃驚した。
「どうして?……何かイヤな事でもあったの?」
「そんな事ないけど……オレ、アイツと居てもそんなに楽しくなかったから」
つきあい始めても、友達の時と全然変わらない感情。それどころか、四六時中側に居られると、時に息詰まる事もあった。
「今日も何となく誘われるままに出かけたんだけど、やっぱりあんまり楽しくなくて。かと言って、安心出来るとか、側にいると落ち着くっていう感じでもなくて、やっぱりコイツとは友達以上にはなれねぇなぁ……って思ってたら、此処にお前が居るのが見えた」
「オレ……?」
何でオレがそこに出てくるの?と、目を丸くする快斗。
「何か、お前見たらはっきり『違う』って思った。だって、アイツよりお前と一緒に居た方が楽しいし安心出来るし、気持ちがゆったりした気分になって心地良いんだ」
だから、その一瞬で全てを決めた。
今まで悩んだりもしてたけど、その瞬間だけで決心した。
「新一……それって」
「……あ、でもやっぱり性急過ぎたかな。もっと、ちゃんと場所設けて告げるべきだったかも」
何か全て快斗がきっかけで別れた、と言ったような気がして、言葉を繋ぐ。しかし、快斗は微苦笑を浮かべつつ首を竦めて見せた。
「いや。多分、相手にもその程度の覚悟はあったんじゃない?」
「……?」
「だって、今日は『セプテンバー・バレンタイン』だろ」
「何だそれ」
初耳の言葉に快斗は説明してくれた。今日は別れを切り出す日なのだと。
どうしてそんな日を快斗が知っているのか。そもそもそんな日を作った人間の真意は何処にあるのか新一には全く判らなかったが、快斗は「合理的だろ?」なんて言って笑った。
「だから、別に突然なんかじゃないんだよ。バレンタインデーは告白する日だって決められているように、今日はちゃんと別れを切り出しても良い日だって定められているんだからさ」
何だか楽しそうに告げる快斗を不思議そうに見ていた新一だったが、何時だって快斗の笑顔は好きだった。
だから、「じゃ、いいのかな」と言って、それで全てを終わりにした。
それっきり、あの男の事は忘れた。
さて、これからどうしよう。快斗とこのまま一緒に居ても良いのかな。
何か予定があったのなら、勝手に快斗の姿を見付けてやって来た自分は迷惑かも知れない。
本当は、久しぶりに快斗と一緒に居たいなとも思ったけど、また日を改めて誘った方が無難かな?と思った時。
「で、今からメシでも食いに行く?」
なんて、今までと変わらない快斗が微笑ってた。
その笑顔がなんだかとても眩しくて。
新一は内心ドキドキしなから頷いたのだった。
このドキドキが「恋」なのだと、彼は何時になったら気付くのだろう。
END
NOVEL