可憐な花の無慈悲な毒





その日は、特に普段と変わらない日だった。一応、GW中という事もあり、街はそこそこの活気に満ちていたが、新一には取り立てて関係ない事だった。
GWと言っても、平日は平日である。
しかも、事件というのは、平祝祭日構わずに被疑者の都合で起きる。
この日も新一は特に代わり映えしない日常の中、いつものように一課の要請を受けて現場に赴き、現場を検証し、容疑者の取り調べに参加し、謎を解いて犯人を導き出した。

何時もと同じ。

警部を筆頭に、何時もと同じ感謝の言葉を貰い、隣の刑事に自宅まで送ってもらい、そして1日の残りを自分の部屋で過ごす。
その日も代わり映えしない1日だった。

自室の扉を開くまでは。

開いた所で、一瞬動きが止まった。
自分の部屋なのに、扉を開いて思わず立ちすくんだのは、……招かざる訪問者がいたからだ。
「おかえり」なんて言って、まるでこの家の住人みたいに。
新一は気持ちを落ち着けると、その真っ白な出で立ちの訪問者に対して一瞥して、何事もなかったかのように、自室へと足を踏み入れ後ろ手に扉を閉めた。
目の前の訪問者は、どこか少しだけ怒った表情をしていた。

「遅いお帰りですね。遅すぎる。……間に合わないかと思いました」
ほんの少し責める口調。しかし、新一には関係のない事だ。
自分が何時何処で何をしようと、目の前の男には関係ない。……例えそれが『恋人』であったとしても。

「昨日は日付が変わってたぜ?それに比べれば、今日は早い」
新一はにべなく言い放つと、相手を気にすることもなく上着を脱ぎ去り、無造作に椅子の背に掛けた。
今日は、まだ今日だ。明日になるまで、まだ1時間もある。新一にとっては十分早い時間だった。

そんな新一の言葉に、キッドは仕方ないと言った風に肩を竦め、それから一歩新一に向かって近付いた。
「今日でなければならない用が、私にはあったのですよ」
キッドは、用のない時には新一の元を訪れない。
どんな時でも、彼が新一の前の姿を現すのは、理由があるのだ。

それが、どんなに些細でくだらないモノであったとしても。

新一にとって、キッドは恋人だし、おそらく相手もそうであるはずなのに、こんな所で2人の関係は微妙だった。
「で、何の用なんだ?」
オレ、疲れてるだけど。
言外に匂わす口調に、キッドは小さくため息をつくと更に新一に近付き、その少しとがった顎に指を滑らせた。
抵抗する素振りを見せない新一に穏やかに微笑みかけると、その薄い口唇にそっと口づける。

それは、軽い恋人同士のキス。

キッドの唇はすぐに離れた。これは、ただの挨拶。何時もの事。彼が此処にやって来ると欠かすことなく行う儀式のようなものだ。
「……で、何?」
さっさと本題に入れとばかりに、重ねて訊いてくる新一にキッドは苦笑すると、その手の中から小さな花束を取り出した。
途端に新一の顔が歪む。

その顔は、明らかに不愉快な表情で。しかし、それでもキッドは怯むことなく新一の前にそれを差し出した。
「新一、愛してる」
「……」
「受け取って?」
「……で?」
呆れと躊躇いと切なさが入り混じった顔でキッドを睨む。どうでも良い理由をこじつけて工藤邸にやって来る恋人。
そんな事、最初から分かっていた筈だった。だが、今晩の新一は、何時ものような態度をとる事が出来ない。

あまりにもタイミングが良すぎて……そして悪すぎる。

そんな新一の心情を知ってか知らずか、キッドは相変わらず新一の心を溶かす様な笑顔で口を開いた。
「貴方に幸福が訪れる事を祈って。……ヨーロッパでは、今日この花を贈る習わしがあるのですよ」
「……ここは日本だけど」
嬉しそうに告げるキッドに対して、新一は大きくため息をついた。
「素晴らしい習慣は、どんどん取り入れるべきではありませんか?」
新一の態度などまるで動じることなく、キッドは受け取ろうとしない彼の手を取ると、それを持たせた。

小さなグラスブーケ。その程度にしかならなのだ、この花は。
白くて可憐な、まるで小さな鈴をいくつも繋げたようで、その美しい若葉色をした葉の形は蘭を彷彿させる。

小さくて愛らしい花、鈴蘭。

「それに、男性に鈴蘭を贈るのは、愛の告白をも意味するのですよ」
今の私達にぴったりだと思いませんか。
「愛の告白……か」
強引に受け取らされた可憐な花束を新一は見つめた。
流石に香水に利用されるだけあって、芳しい香りが鼻孔をくすぐる。

「男に鈴蘭を贈るというのは、オレも知ってる。……けど、贈る側は女じゃなかったか?」
複雑な顔に、それでも微笑を称えて相手を見つめる新一に、キッドは堪える風もなく肩をそびやかした。
「細かい所は目を瞑って。要は、私がどれだけ貴方を愛し、貴方の幸福を願っているか、という事です」

全くもって堂々と宣言するキッドに……新一の方が恥ずかしくなる。
どうしてこの男は、こんな気障な言葉を臆面もなく吐けるのだろう。……しかし、何時もならそんな恋人の態度にすら笑って受け流してしまえるのに、今日はそれが出来ない。
この小さな花束を見た時から、新一の心は昼間の出来事へと誘われてしまっていた。

「……新一?」
顔を伏せて動かなくなった新一に気付いたキッドが、怪訝に声かけた。まるで、鈴蘭の花で顔を隠すように俯いている新一にキッドはすこしだけ不安になった。
「新一……お願いだから、食べないでね?」
下から見上げるように覗き込む。
「ばーろ……オレを殺す気か」
ぽつりと呟く新一に、キッドはあからさまに安心した顔をした。

鈴蘭には毒がある。これは有名な話だ。
コンバロサイドやコンバラトキシンと言った心臓に強く作用する毒が含まれている。
摂取し中毒となると、吐き気、麻痺、視覚障害などを引き起こし、最悪は死に至る。
毒の花ととして知られているトリカブトと並ぶ、最も危険な毒草の1つ。
花はもちろん、葉も茎も根も、全てが強い毒素を持って。その可憐な姿の何処に、猛毒を隠しているのだろう。
それは、彼女の飲んだ水ですら毒となるのだ。


「『あなたに幸せになって欲しいから』」
ふいに新一の口から零れた言葉に、キッドは軽く眉を上げた。
「新一?」
「『そして、私も幸せになりたかったから、だから花を贈ったの、鈴蘭の花を』」

──今日は、女性が男性に愛を告白する日だから。鈴蘭の花を贈られた人は幸福になれるのよ……。

「……まるで心不全のようだったよ」
新一は顔を上げた。
「何が……?」
「今日の被害者の死因」
現実には、コンバラトキシンによる中毒死。
女は男に花を贈った。清楚で可憐な毒の花を。
彼の幸福を望み、そして花と共に死を贈った。

彼女は、全てが明るみになった時すら、微笑みを絶やさなかった。

彼は今、幸せな世界に居るの。……幸福な時を。
私が彼に与えてあげたの。だから、彼は彼の世で、それまでにない程の幸せの中に居るはず。

謳うように奏でるように、彼女はそう言って微笑んだ。


「捨てられそうになった女が、男を殺したんだ。……この鈴蘭の花を使って」
彼女の想いがどうであれ、現実はそうだ。
他の女に走ったかつての恋人を手に掛けた。それは、間違いようのない事実。

「お前も何時か、オレを殺そうとするのかな」
この鈴蘭の花を贈って。
「……新一!」
キッドが僅かに声を荒げると同時に、階下の柱時計の音が小さく響いた。

「……日が、変わったな」
新一はぽつりと呟いた。

昨日は、ありふれた1日だった。何時もと大して代わり映えのしない1日。
恋人から幸せになるようにと、毒の花を贈られた。何時もとそう大差ない1日。

キッドは、新一が無表情に見つめ続けているその花束を強引に取り上げると、それを床に放り投げた。
いつもの彼らしくもない乱暴な仕種に新一は少しだけ目を見開いた。
「キッド?」
「私は貴方に幸せになって貰いたいだけなのです。今生の幸福を。愛するが故に貴方を手に掛けるくらいなら、私がその花を食べますよ」
明らかに怒りを漲らせて言い放つキッドに、新一は相変わらず大きく目を見開いていたが、暫くするとその双眸がふと和らいだ。

「オレは、今が一番幸せだと思っているけど……?」
先ほどまでとは打って変わった、穏やかな笑み。
「今の世で、一番幸せだぜ?……だから、わざわざそんなモノを貰わなくても充分幸福だし、今更愛の告白なんてされなくても、オレはお前の愛を疑った事なんて一度もない」
「新一……」
「キッド……愛してる」
滅多な事では絶対に口にしない言葉。何時もはキッドが強請っても決して口にしてくれない言葉を、新一は微笑を湛えて告げた。

「だから、そんな風に無理に理由をこじつけてオレの家に来なくても、何時だろうと好きな時に堂々とやって来れば良いんだ。……オレは、お前を決して拒まない」
そんな当たり前過ぎる事を、目の前の男はまさか気付いていなかったのだろうか。

新一にそう言われた方は、驚いたように双眸を大きく見開いて固まっていた。
その驚き方があまりにも大袈裟で、新一は何かおかしな事を言ったのだろうかと内心首を傾げた。

「そんなこと言われたら……」
苦しいとも切ないとも言える表情で、キッドは小さく呟いた。
「……?」
「抑えが効かなくなる」
「キッド?」
「毎晩来ますよ。貴方に逢う為だけに、毎晩毎晩……」
用もないのに、毎晩毎晩。只、逢いたいから、一緒に居たいから、その温もりを感じたいから。
たった、それだけの為に。……そうして相手を束縛するのだ。
だけどそんな事許される?己の欲望の為だけに、相手を自由を奪うかのような態度を取るなんて。
言外に新一に訴えてるように、キッドの眼の奧が暗く沈む。

しかし。
「それが普通だろ?オレだって、好きなヤツには何時だって逢いたいと思っているけど……お前は違ったのか?」
何を今更、と言わんばかりに瞬きしつつ、さらりと言い放つ新一に、キッドは思わず恋人の身体を力一杯抱きしめた。

「ちょ……苦し……!」
「違わない、愛してる、これまでもこれからもずっと。……新一の幸福は、オレがずっと守るから!」


幸せを運んでくるのは、そんなちっぽけな花じゃない。キッド自身なのだ。
だから新一の幸福は、彼が一生かけて守り続ける事になる。

人の一生を背負うなんて、それは口で言う程簡単なものではない。それでもこうして言葉にすることで、言霊の力を借りるのだ。

「──なら、お前の幸福は、オレが責任を持って守ってやるから」
幸せだろ?今、オレと居られて。

背中に回されてきた恋人の腕の感触に気付くと、キッドは嬉しそうに頷いた。
そんな彼の表情を見て、新一もまた微笑んで応えてみせたのだった。





NOVEL

2003.05.01
Open secret/written by emi

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