形のない気持ち






その日は少し、様子がおかしかった。


うだるような暑さの中、そこに居るはずのない人間を目にして、黒羽快斗は思わず立ち止まった。
毎日が酷暑で、既に残暑となった今でも日中の気温はまるで天井知らず。
熱中症になってもおかしくないような日差しの中、無防備な姿で立ち尽くしている人物が快斗を見つめてくる。

「新一」
慌てて駆け寄る快斗に、新一は黙ったままだった。


怠惰な夏休みが唐突に終わりを告げて数日。二学期が始まったというのに、まだ何のやる気の起きない暑い日々。
惰性で学校には通っているモノの、さして楽しくもなく、ただ体力だけが無意味に消耗していくような生活。
授業らしい授業も行われない現在は、午前で放免されることも多く、快斗も昼には教室から解放される。

そして、校門の向こう側に、恋人の姿を見付けた。

恋人……そう心に思い描いて、快斗は内心苦笑する。
男同士で恋人も何もあったものではないが、「恋人」と表現するには少し語弊があるのかも知れない。
何せ、2人はまだ「愛している」所か「好き」の言葉すら交わしていない。

2人で食事くらいは行くが、それは只のお付き合いゴッコに過ぎない。
別にわざわざ食べに出なくても……やることは出来る訳だし。

ああ、そうか。こういうの、セフレって言うんだな。ただヤるだけの相手。


そんな事をつらつらと考えながら新一の前に立つと、彼の汗ばんだ匂いが僅かに嗅覚を刺激した。
「珍しいじゃん、お迎えなんて。……どういう風の吹き回し?」
頭も身体も熱くなっているだろうその身を気遣いたかったのに、口から出た言葉はこうだった。
そんな快斗の言葉に新一は憮然とした態度で応えると、すっと彼の腕を取る。

熱い。
新一の掌から伝わる熱はとてつもなく熱くて、日頃体温の低い彼にとって少し異常だった。
かなりの間、ここに佇んでいた事が理解出来る。
「何?今日の新一って、積極的」
それとも、この暑さにヤラレちゃったの?

口の端を軽くつり上げて笑って見せると、新一はその表情に視線を合わせることなく、ぐいっと腕を引っ張った。
そのまま歩き出す新一に引かれて、快斗もついていく。
街路樹からけたたましく聞こえる蝉の声。

何処へ行くのだろう。
こんな時間に快斗を誘うなんて事は今までなかったけど、もし何時もと同じだとするなら、やはり新一の家に連れて行かれるのか。

「……新一。オレ、家この近くなんだけど。どうせなら今日はオレんちにしない?」
お袋、夕方まで帰ってこないしさ。
「……………ダメ」
「何で」
「夕方までしかデキないから」
「………あ、そ」
新一の台詞とは裏腹に、その語尾が微かに震えたのを快斗は聞き逃さなかった。






彼の家の玄関に入った瞬間、ひやりとした空気が快斗の肌を撫でた。
その感触に汗が引く間もなく、彼の身体は床の上に押し倒された。
「新一、少し待てよ」
まだ靴すら脱いでいない。もちろん新一もそうだ。
しかし、そんな快斗の抵抗の言葉などまるで聞こえないとばかりにのし掛かると、その口唇に噛みついた。

無理矢理舌をねじ込ませようと強引に口唇を割って入ろうとする新一の為に、快斗は軽く口を開いて受け容れる。
互いが舌を絡ませあって、暑さとは違う別の「熱」を呼び起こす事に専念する。
新一の知的に帯びた瞳は伏せられ、少し長めの睫毛を僅かに震わせながら、快斗の口唇を貪った。
もどかしげに快斗のシャツのボタンを外そうとする。一つ、また一つと露わになっていくその身体は、健康的な色をしていた。
新一は口唇から一旦離すと、そのまま頬へ顎へと落としていく。
今まで、こうして下になって受けたことのない行為に、快斗は新鮮な感覚に酔いつつ、首に這う口唇の感触に喉を逸らせた。



その時だった、小さな物音がしたのは。



快斗は不審気に目を開けると、仰向けのまま音のした方向へと視線を向けた。

誰かの足下が見えた。スリッパを履いている………女の足。
新一が顔を上げる。快斗は起き上がろうとするが、新一に身体を押さえつけられた。

「……何だ、まだ居たのかよ、お前」

冷えた声が彼の口から吐き出される。
下からの角度で見たその女は、すらりとした身体で、しかし付くべき所にはちゃんと肉の付いているナカナカの上玉で、顔も悪くない。むしろかなりイイ線いってる。少し勝ち気気味な瞳が難だけど、意志の強さを感じるその目は悪くない。
そう、ナカナカ悪くない女だった。

その女の目が、大きく見開かれ、快斗と新一を見つめている。

………工藤君。女はそう唇で形取った。
「だから言っただろ、オメーとは付き合えないって。……セックスフレンドにも不自由してねーんだよ」
それにお前は全然オレの好みじゃねーし、ウザイし自信過剰だし。
鏡見てみろよ。どう見てもオレに劣る顔立ちしてるくせに、近付こうなんていい根性してるぜ、全く。

「サセてくれたって、それで彼女面されたらたまんねーんだよ、このブスが」
容赦ない言葉に相手よりも快斗の胸の方が痛んだ。
言い過ぎ、と言わんばかりに新一の腕を掴むと、彼は見たこともないような蕩けんばかりの微笑みを快斗に投げかけた。
「悪りぃな、邪魔入って」
新一の細い指が、つ…と、快斗の頬を撫でた。

それから、静かに口唇が降りてきて……再びそれが重なった。

明らかに相手に見せつけているその行為に耐えられなくなったのは、もちろん女の方で。
バタバタと廊下を駆けると、外へ飛び出していった。
2人の脇を通り過ぎる時、彼女の顔が泣きそうに歪んでいるのが見えて、快斗は内心ため息をついた。
それから今度は新一にも分かるように大きく吐息を吐いてみせる。

「………オレの役目はコレで終わり?」
打って変わっておどけたような朗らかな問いかけ。
新一は、身動きせずに快斗を見下ろすと、ゆっくりと首を振った。


「………いや、何もしなかったら、こんな所まで来て損になるだろ。いいぜ、ヤろう」






ゲストルームのベッドは広い。
海のように波打つシーツの中、白い肢体は艶やかに跳ねる。
閉ざされたままの厚いカーテンの向こう側の暑さを遮断するかのように、静かに、しかし力強く稼働するエアコンの音に混じって聞こえるあられもない声。
抑制しようとしないその声と動きに、快斗は薄く笑う。
「何か、いつもより積極的」
そう告げると同時に腰を軽く突き上げてやると、更にきつく両足を腰に絡め快楽に戦慄く。
綺麗に仰け反らせて喘ぐ新一の白い喉元に、己の口唇を押しあて、舐め上げる。
「……んっ」
しっとりと汗に濡れた身体がぴくりとはねる。

「なぁ……もしかして、今日のお前って自分から腰動かしたりしたくない?」
もしそうなら、自分のペースでヤれるぜ?
楽しげに腰を突き上げつつ言う快斗に、快楽に伏せつつも睫毛を震わせていた新一の瞼がゆっくりと押し上げられた。
いつもの理知的に光る輝きは影を潜め、代わりに欲情に濡れた瞳が快斗を捕らえる。

その瞳の奥に肯定の意味を取って、快斗は新一の身体を抱き上げると繋がったまま、体勢を入れ替えた。
「はぅ……っ」
わざとなのか偶然なのか、感じたことのない角度から擦られて、新一は嬌声を上げる。

「ほら、動けよ」
細い腰を抱きながら促すと、従順に揺らし始める。快斗の上にのし掛かった格好は動き方によっては不安定に揺れるけど、その時に感じる微妙な擦れ具合は更なる快楽に誘われる。
倒れないようにと腰を支える快斗の手。その掌に伝わる熱にさえ、快感を味わってしまう新一の身体。
設定温度をおもいっきり低くしているにも関わらず、熱の溜まる室内に息苦しさを感じつつも、止めようがなかった。
時折突き上げられる腰の動きに合わせるように揺らしてみたり、腰を軽く浮かしては落とす動作を繰り返す。
新一の赴くまま、感じるままに激しく動くと、快斗は嘲笑じみた笑みを浮かべた。
「気持ちイイ?」
いやらしく尋ねてみると、素直に「イイ」と答えが返ってきた。
「………スゴク……イイ」
悦楽に歪んだ表情でうっとりと呟く様は、ある意味媚薬に近い。
その表情を目の当たりにした者全て、彼の虜になることだろう。
当然、快斗自身も例外にはなり得なかった。

自分の上で新一が益々激しく乱れて、その動きに快斗も高ぶっていく。
「新一って……スゴイ…」
煽るような物言いにすら新一は刺激に変えていくようで、堪らなくなって快斗の肌に爪を立てた。

「……なぁ。もう、出していい?」
限界に近付きつつある強い刺激に
「………ま…だ」
恍惚と告げられても、しかしもうそうは保たない。
「一回じゃ終わらせないから、な?」
いいだろう?とお伺いを立てると同時に上半身を起こして新一の身体を抱きしめた。

「なっ……!」
反動で仰向けに倒れ込みそうになる新一をそのままシーツの海に沈み込ませる。
「やっぱ、イク時は自由に腰使いたいじゃん?」
そう笑いながら再び体勢が入れ替わり、快斗の腰が激しく新一を打ち付ける。

「はぅっ……はっ……あ」
優しさも気遣いの欠片もなく、己の欲望のままに激しさを増す相手の腰の動きに翻弄されて、間欠的に声を上げ続けた。
そのタイミングに合わせるように一際強く腰を打ち付ける。
「─────っ!!」
内壁を侵す強い摩擦に、強く甘い痺れが一気に背中を駆け上がる。
目の眩むような快楽。息を詰めて新一は昇り詰め、身体の中に快斗の熱を感じた瞬間、頭の中が白一色に覆われ、新一は意識を飛ばした。






一回では終わらせないと言った快斗の言葉通り、気の遠くなるような快楽が何度も新一の身体を襲った。
意識のない時の行為を合わせれば何度昇り詰めたのか、新一には分からない。
しかし「満足した?」と尋ねてくる快斗に素直に頷く。
声が掠れて出ない。
そりゃそうだ。今日は、何時にも増して喉を使ったし、常に抑制していた感情すら解放した。いつもなら強く嫌悪を感じる自分の上げる声にすら、聞こえないフリをして相手の望むままに振る舞った。

………いや、相手ではなく、本当は自らの望むままに、なのかも知れない。

そんな事を考えつつ突っ伏していたら、隣で休んでいた身体が起き上がる気配を感じた。
帰るのかな……と、ぼんやりと思ったが、声が出ない。もういい。好きにすればいい。

何時だって、2人はそれだけの関係だ。それ以上でもそれ以下でもない。
新一は快斗のプライベートな事はほとんど知らないし、快斗の方もそうだろう。
知っているのは、互いの名前と携帯番号と高校と……ああ、これだけ分かれば十分か。新一は心の中で薄く嘲笑った。

エアコンの風が背中に当たる。熱の引いた身体を更に冷やすように吹き出している風に、設定温度をもう少し上げようかと思った時だった。
ふわりと肩に掛かるモノに思わず身じろぎした。
「身体、冷えるぞ」
快斗が下の方に蹲っていたダウンケットを引き上げたのだ。新一がちょっとびっくりしたような顔を向けると快斗は苦笑した。
「何?……オレがこんな事するのって、変?」
「……あ、いや」
掠れた声で言う。驚いたのは、彼がさり気ない優しさを見せたからではなく、未だ新一の隣で横になっていたからだ。

いつもなら、ヤる事が済めばとっとと帰るのに。前戯には時間をかけるけど、後戯らしい事はまるでした事がない快斗がだらだらと寝そべっている事にほんの少し不審を感じた。
と同時に「何か恋人同士みたい」などという思いが頭の隅を過ぎってしまい……それをうち消すように頭を左右に振った。

─────バカらしい。……ただ、ヤるだけの関係だって事は、最初からちゃんと理解ってるはずなのに。

身体を労るなんて事、今までされた事なかった。行為の最中も気遣われる事なんてなかった。
……新一がわざと気遣われないように振る舞っていた所為もあるけど。

「新一……疲れた?」
なのにどうして、今日に限ってこんな事聞いてくる……?
「………まぁ、な」
新一は、殊更ぶっきらぼうに答えた。
別にお前が心配する事じゃねぇぜ?今日は、無理矢理オレが誘ったんだし。

「でも、いっぱいしたのはオレの為だろ?」
「…………え?」
思わず顔を上げた新一に快斗は困ったような顔で見つめてきた。


今まで、数えるほども見てきたことのないその表情。
新一はそんな顔の快斗に、小さいため息を漏らした。


「………お前って聞かないのな」
「何を?」
「…………あの女のコト」
「聞いて欲しいの?」
「………別に」
「聞いてあげようか」
「………別に」

「あの女って……オレへの当て馬だったのかな?」


「………別に」
再び顔を伏せる。あんな女、新一一人であしらう事くらい簡単な事だった。恋愛事に敏感でない分だけ、彼の態度は容赦ない。

だけど……。

もし新一が快斗の想いに敏感に察する事が出来たのなら……こんな風に彼を利用しようとはしなかっただろう。
そもそも、こんな関係になど落ち着くこともなかった。

コレは、お互いが割り切った関係を続けているからこその『火遊び』に過ぎない。




互いがただの『火遊び』から、これが『本気の恋愛』だと気付く日は、果たしてやって来るのだろうか。






閉ざされたカーテンの向こうから、微かに蟋蟀の声が聞こえた。
暑い夏が終わりを告げるかのように。






END






NOVEL

2001.09.04
Open secret/written by emi

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