しんいち と かいとん・完結編





「今のオレなら、何の躊躇いもなく自首する事が出来る……!」
ぐっと拳を握りしめ、決心する快斗。だが、そんな彼の背後から、快斗を呼ぶ声が聞こえた。

「そんな所で何蹲って居るんだ、快斗」
それは、愛しい愛しい新一の声。犬にまでなってまでも傍に居たいと切望した、この世でたった一人のかけがえのない想い人。
部屋を飛び出したものの、行く場所が思いつかず、取り敢えず庭に出て蹲っていた所を新一が発見したのだ。
「そんな所に居ないで、部屋に入って来いよ」
ちょっぴり呆れた……けれど優しい新一の声に快斗の目頭が熱くなった。

「しんいち……」
「何だ、快斗?」
「しんいち………」
「どうした。何処か具合悪いのか?」
そう言いながら、新一は快斗を背中から抱きしめた。

何時にもまして優しい新一の仕種に、快斗は戸惑った。これは、もしかして新一と別れる快斗の為に、神様からの贈り物ではないかと思った。
それくらい、いつもの新一よりもずっとずっと……。


─── その時、はた、とあることに気が付いた。


あれ?
今さっきから、新一って……オレの名前呼んでない?

ピクリと背中を震わせた快斗に新一は気付いた。
「快斗……?」
やっぱり。新一は「かいとん」とではなく、「快斗」と呼んでいる。
「どうして……?」
「何が?」
戸惑う快斗を余所に、新一はとぼけた声で訊ねる。

「あの……毛利さんは?」
良く判らずに話を振る。彼女の存在も快斗にとっては、とても重要だ。しかし、新一の答えは快斗の予想を見事に裏切った。
「蘭か?アイツは帰った」
あっさりと言う。
「な、何で?」
一緒に住むんでしょう?ご飯を作るって、張り切ってた。なのに何故?
首を傾げる快斗に、新一は屈託がない。
「用を済ませて、貰えるモン貰ったら、さっさと帰ったぜ?」
アイツも、かなりゲンキンな女になったよなぁ。 新一は首を竦めたが、その声音は決して嫌がってはいなかった。
「貰える物って……?」
「チケット。何でも入手困難なチケットらしくてさ。たまたま、オレに伝手があったから、用立ててやった訳」
ペアで用立てたそれは、未だ男よりも親友を取るらしい園子と一緒に行くのだと浮かれながら帰って行ったのだ。
もう、それさえ頂ければ用はないと言うかのように。
「ま、オレも──に付き合って貰ったから、構わないんだけどな」
くすくす笑う新一に、快斗は益々訳が分からなかった。


そんな快斗に、新一は言った。
「なぁ、快斗。……そろそろ目を覚ましても良いんじゃないか?」
その言葉の意味する所を快斗は咄嗟に理解出来なかった。
「何?何の事を言っているの……?」
「だから、そろそろ止めよう。オレはかいとんも好きだけど……快斗と一緒に居られないのはすごく辛い」
「え……?」
今、幻聴が聞こえた。
だって、快斗の知っている新一は、決してこんな事を言うような人間ではなかった。
ならば、目の前の新一も幻なのだろうか。
……これは全部快斗にとって都合良い、甘美な幻と幻聴なのか。

「キッドなのに……オレはキッドなのに、そんなオレと一緒に居たいなんて言う新一は嘘だ」
胸の内が、ふと口唇からこぼれ落ちた。独語するように呟く声だったが、目の前の新一には、はっきりと聞き取れた。
「嘘じゃない」
「オレみたいな卑怯な男……新一が許す筈がない!」
「違う。……卑怯なのは、オレ。──オレの方だ」
「──それって……どういう……?」
混乱を極めた快斗の脳は、全く活動してくれなかった。IQ400は、伊達かも知れない。
そんな快斗に、新一はゆっくりとかみ砕いて説明を始めた。

「だから、オレがお前を騙したんだ。……お前に『かいとんは犬』だと思い込ませる為にな」


黒羽快斗は、その正体を工藤新一に知られてから、彼に三行半を突き付けられそうになった事に気付いて、先手を打った。
それは、催眠術で、新一に快斗を犬と思わせ、ペットとして一緒に暮らす術だった。
「だけど、快斗。……お前、本気でそんな術にオレが掛かると思っていたのか?」
「だって、掛かっていたじゃないか」
ムキになる快斗に新一は呆れた溜息をついた。
「掛かった振りしてたんだ」
「何で!?」
「そんなの決まってるだろう?……お前と一緒に居る為だよ」
快斗が新一を騙してまで傍に居たいと思っていたように、新一も自分の気持ちを偽ってでも、快斗と一緒に居たいと思っていた。
どうして、気付いてしまったのだろう。快斗がキッドであると気付きさえしなければ、新一は何時までも彼と一緒に居られたのに。
百歩譲って、気付いたくらいならば良かったのだ。しかし、気付いた事を快斗に知られてしまった。
快斗は新一を正義の権化のような存在と捉えている節がある。そして、それを誇りにしていた。まるで、己には持ち得ないモノを恋人に託すかのように……。
随分前から、それに気付いていた新一は、彼に軽蔑されないよう、嫌われないよう振る舞ってきたのだ。

だから、快斗がキッドであると知った時、悩んで悩んで悩み抜いて、そして快斗が理想とする『新一』として振る舞う事にした。
正義をこよなく愛する探偵は、例え恋人であろうとも、その罪を許しはしない。
自らの手で彼を引き渡す事は流石に出来ないから、正義を尊ぶ新一は犯罪者と手を切って、颯爽と人生を歩んでいくのだ。……と、そう振る舞って、快斗の理想通りの『新一』を演じる事にしたのだ。

軽蔑されて嫌われたくない。その為だけに、新一は恋人と別れようとした。それが、彼の真実だった。


「でも、お前がオレに術を掛けてくれたから……」
快斗はかいとんになーる。 快斗はかいとんになーる。 と、そう言って、紐の付いた五円玉を目の前にブラブラさせた快斗のお粗末な催眠術に、新一は渡りに船とばかりに乗っかったのだ。
本当は、少しも効かなかった。もし、普段の新一だったら、おかしくて笑って涙さえ浮かべていたかも知れない。しかし、この時の新一は、そこまでしてまでも一緒に居たがってくれる快斗の想いの強さに……泣きそうになった。

だから、新一はペットを飼い始めた。
そのペットは、実は怪盗キッドで、世界的に有名なスーパースターなんだ。でも、それ以外は、新一の大事な大事なかいとんなのだ。

「でも、でもっ。新一は、本当にオレをペットとしてしか見てなかった」
勘の鋭い快斗なら、術を掛けられた振りをしている新一を見抜く事など容易だと思った。しかし、今の今まで、新一に騙されているなんて、勘付く事が出来なかった。
「オレは女優の息子だぜ?お前の目を欺く事くらい簡単だ。……それに、オレは自分自身をも欺いた」
敵を騙すなら、先ず味方から、という言葉があるが、新一は、自らをも欺いた。─── 己にも暗示を掛けたのだ。

「以前、本当に催眠術に掛かった事があった。それは、捜査の一環として関わった事だったんだが、その時専門家に、オレは暗示に掛かりやすいタイプだって言われた事を思い出したんだ」
その時に、簡単な暗示を掛ける方法も教えて貰っていた。
それは、緊張を解したり、引っ込み思案な性格の人が自信を持てるように施す際に使われる暗示だが、新一はそれを応用した。もちろん、ずっと掛かりっぱなしは精神的に良くないので、ちゃんと一日の終わりには暗示を解いてもいた。
「夜寝る前に、オレは机の引き出しを開けるんだ。そこには紙切れが一枚入っていて、それには快斗の名前が書いてある。それを見ると、オレの暗示は解けた。そして、朝になると、また引き出しをあけてお前の名前を目にする」
すると、また暗示に掛かるのだ。
こうして、毎日毎日、快斗をかいとんだと思い込み、一緒に過ごしてきた。それはそれは楽しい毎日だった。

「けど、ごめんな。……オレ、やっぱり快斗でないとダメみたいなんだ」
例えペットでも構わないと思ったのは快斗だった。しかし、欲張りな新一は、やっぱりペットなかいとんでは満足出来なかった。



けれど、快斗はやっぱり納得がいかない。
「結婚は……?本当は、結婚するのにオレが邪魔だから、そんなこと言ってるんじゃないの?」
「あんなの芝居に決まってんだろ?オレはだな……」

お前から、この虚構の日常を壊して欲しかったんだ。

「お前の口から、『かいとん』というペットは嘘で、本当はオレの恋人なんだと言って欲しかったんだよ。それに、お前が仕掛けた芝居なんだから、お前自身が幕を引くべきだろう?」
その為に志保や蘭に手伝って貰って罠を仕掛けてみたのだが、快斗は引っかかってくれなかった。
お見合い話も結婚話も、皆快斗に戻って欲しいという、遠回しの新一の願いだったのに。

新一の話を聞いて、快斗は項垂れた。もちろん、それは、ずっと騙されていたからではない。
新一の気持ちなどちっとも気付かずにいた自分の情けなさにだ。

「ごめん、新一。オレが悪かった。オレ、すぐに自首するから……だから、嫌わないで」
両手一杯の証拠品を持っていったら、きっとみんなすぐに逮捕してくれる。
そして、拘留されて送検されて起訴されて裁判して有罪判決が出て刑務所行って模範囚に……。
「嫌だ」
「そうすれば、きっと新一も安心するだろうし」
「そんなの、絶対に認めない」
「せめてもの償いに……」
「死んでも認めないからな」
「……って、── 新一?」
顔を上げると、怒った表情の新一が見えた。

「オレは、お前と離れるのは嫌だ」
「だって、オレは……」
「オレは、もう嫌だ。だから、これからは唯我独尊に振る舞わせてもらう。良いか、良く聞け。オレはもう、お前に相応しいオレなんか演じてやらない。オレはオレの思うように生きてやる。キッドが何だ、犯罪者がどうした。そんなものオレは知らない。オレは警察じゃねぇ。オレは端から、危険を冒してまでも犯罪者を捕まえるなんて正義感は持ち合わせてなんかいないんだ。それに、快斗はキッドである前にオレの一番大事な男だ。お前が居なくなったら、オレは死んでしまう。そうなれば、もう推理なんか出来なくなって、警察の手伝いもやれないだろう。お前を失う事は、警察の救世主たるオレをも失う事になる。そんな真似、常に警察に無償で協力してやっている善良な市民であるオレには、とても出来ない」
だから、警察の為、ひいては国の為にも、快斗は新一の傍にいるべきなのだ。それが、一番正しい選択であり、それ以外の道など選ばせてなどやらない。

我が儘全開な新一の言葉に、快斗は言葉を失った。……何だか、嬉しすぎて喉が詰まる。

「だけど、オレは犯罪者だよ?そんなオレが新一の傍に居ても構わないの?新一は軽蔑しない?」
震える声は、ともすれば溢れてしまいそうになる涙を必死に留めている所為だ。そんな快斗に新一は告げる。
「安心しろ。オレは近い将来、この日本にアメリカの制度を取り入れさせるつもりだ」
「……アメリカ?」
突拍子のない事を言い出した新一に、快斗は首を傾げた。

曰く、
「司法取引だよ。それさえあれば、こっちのものだ」
司法取引制度。それは、罪を認める代わりに刑を軽くして、審理を簡素化するのがその目的であるが、情報によっては有益な取引の材料になる。
その情報によって、刑の減刑あるいは刑を免れるという、法に則った合理的な制度だ。

「お前なら、警察が逆立ちしたって掴めないような情報をゴマンと掴んでいるだろう?それをネタに司法取引すれば、晴れてお前は自由の身だ」
制度導入実現の為なら、政治家になっても構わない。 と、胸を反らす新一の表情は自信に満ちていた。

「何、陪審員制度も導入しようかと言っている世の中だ。司法取引も、あながちあり得ない未来でもないだろう?」
だから、それまでにやるべき事を成し遂げて、犯罪生活を終わらせろよ。 と、新一は朗らかに笑って言った。

「だから、それまでオレの傍に居ろ……ていうか、居てくれ」
「それが済んだ後もずっと、ずっと傍に居る。……居ても良い?」
「当たり前だ」
新一は笑った。快斗は泣き笑いだ。二人はやっと、心から幸せな気分で笑っていた。



本当に、全ての真相を知らずに幸せだったのは、快斗只一人。
この世で一番幸福にならなければならないのは、名探偵と大泥棒。




こうして、新一と快斗の幸せ生活は、新たなスタートを切ったのでした。





END





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2005.10.31
Open secret/written by emi

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